[ 空洞 第2話 ]
私はずっと、“麻雀のない日常”に憧れを抱いていた。
毎日毎日、戦績や金のために独りで戦い続けるだけの日々だった。
鬼のような気合でやらねばならないときもあるし、人に言えないような目にも遭った。
朝起きて仕事をして、給料を貰う。
仕事上がりにビールを飲み、休みの日は趣味を持ったり恋をしたって良い。
卓上で神経をすり減らすことはなく、好きな相手を傷つける必要も無い。
何よりも、毎日3食とって毎晩眠ることが出来るのだ。
無論、仕事や勤めで大変なことはあるだろう。
しかし、どれだけ体調や精神のバランスが悪くとも行けば仕事は出来るし、仕事をした満額を手にする事ができるのだ。
弁護士事務所へ初出勤となる日。
さすがに初日は緊張したが、私は努めて勤勉に仕事を覚えようとした。
社会や仕事の事はどうせ何一つ知らない。
だったら素直に判らない事は頭を下げて積極的に教えてもらうことにした。
幸い、職場は尊敬できる人間の集まりだったので私はストレスなく働くことが出来た。
午後の業務もあっという間に終わり、19時になろうかという時に私は上がるように言われた。
麻雀をやり始めたら何十時間も稼動するし、メンバーだったらこれから店が忙しくなるという時間帯だ。
私はいささか物足りなさを覚えたが、そのまま上がり、雀友であるレフティに電話を入れた。
レフティは池袋の雀荘で勝ち頭として名を馳せるW大学の学生だ。
奴は巣のある馬場にいるというので、落ち合う約束をした。
早稲田通りにある汚い中華料理屋に入ってビールで乾杯をした。
奴は夕べお通夜で打ち、いま起きたところだと言う。
「それで、どうだった?」
「別に、大したことないさ。覚える事は多いが、何とかなるだろう」
「パソコンぐらい最低限のスキルを持っておいた方が良かったんじゃないか?」
「それも、仕事をやりながら覚えるさ」
正直に言えば地下鉄の乗り継ぎからビジネスマナー、そして本題の法律業務のことも全く判らない。
私が独学で学んできたものと実務は全く異なるからだ。
だが、それはどんな仕事だって同じだし、東京に初めから慣れてる奴もいないだろう。
「それで、どうするんだ?」
「だから、問題なく続けられるさ」
「そうじゃなくて、今日のことだよ。俺は池袋に打ちに行く。帰って何をするんだ?」
「何をって……。何をしたら……」
私は自分でも答えが出なくて唖然とした。
「そうか、すまないけどもう行かなくちゃんだ。せっかく麻雀を止めたんだ、仕事頑張ってな」
レフティがそう言い、私たちは席を立った。
店を出ると急いでタクシーを止めて奴が飛び乗った。どうやら気を使って長居してくれたようだ。
時計の針を見ると、まだ夜の21時だった。
今までであれば必ず牌を握っているような時間である。
「帰って、何をすれば良いのだろう……」
まだ荷物が片付け終わってないので、その作業を行うことになることは判っていた。
だが、明日は、明後日は……。
今年の残り何100日間は?
胸にぽっかりと穴が開いたような気分で、私はとぼとぼと帰路についた。
lead to the next chapter...
*当物語はフィクションです
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