哲学的な正義とは?正義の行動とは?
こんにちは、こうちゃんブログです。
今回は「哲学的な正義」とは何なのか?を書きます。
皆さんにとっての「正義」とは何でしょうか?
また、哲学の学者たちは「正義」をどのようにとらえていたのかを一緒に考えていきましょう。
プラトン
➞正義にかなう社会とは、世界の真の本質を理解している哲人王によって厳格に組織・統治された社会のことと主張した。
ジョン・スチュアート・ミル(1806~1873)
➞正義にかなう社会とは、社会に属する市民の幸福を最大にする社会である。例えば、犯罪者を罰することは正義である。なぜなら、それによってほかの人間は悪をしようと思わなくなり、その結果、全体的な犯罪が減少するからであると述べる。(功利主義)
他には正義を測る人物も現れた。
ジョン・ロールズ(1921~2002)
➞人類に政府がまだ存在していなくて、これから自分たちで政治制度を自由に選べるという状況を仮定する。この時の正義は、人類は無知になる必要があると言っている。新たな制度で自分がどのような財産・才能・地位・を得られるのかわからない状態で、どの制度や法律を選ぶかを決めなくてならない。ロールズは、合理的に行動する人が、「無知のヴェール」に覆われた状態で選ぶことのできた制度だと主張する。
(引用:「1日1ページ読むだけで、身につく世界の教養365 335番 哲学 正義」より)
と、いろいろ難しい言葉を使っていますね。正直、深く考えると余計にわからなくなりそうなのでまずは簡単に考えるべきでしょう。
僕の解釈ですが、正義というものは人が育ってきた環境が大きな要因を占めていると考えます。権力、権威、地位、名誉、欲望などでその人の正義というものは揺らぐものと考えます。個人の考えが変化することはミクロな視点で見たときはそこまで影響はないと思いますが、立場が上な人間、権力を大いに活用できる人間などは周囲に対する影響力が強いため、望まない結果になるかもしれません。
正義というものは人間のエゴな部分もあると思います。囚われている考えや、固定観念などが根本にあるのでしょう。
僕の考える「正義」とはデータによる完全管理です。データで記録や集計を取り、人間の感情ではなく、数値による完全管理をするという社会が哲学的な正義だと思います。なぜなら、正義という曖昧にして、基準が不明確なものの価値を統一するべきだからと考えます。人間の考えが及ばない、いや及ばせないものを作るべきです。基準さえあれば、人間の判断はおおむね一致します。
要するに人間に考えさせるなと言いたいのです。
人間は合理的に見えて、非合理的な生き物。常にイレギュラーが存在します。機械なら、誤る心配はないと思っています。
ですが、その誤らない機械を作るのは人間ですから、その課題も残りますね。
今回は少し難しい記事になりました。僕自身も詳しくは勉強していません。
ただ、教養として哲学の考え方は非常に勉強になりますね。
答えのないものに、こうではないか、ああではないかと議論することは社会に出ても頻繁にあることでしょう。そのような場面で活きてくるのではないかと勝手に僕は思っています。
今回は教養の部分として、哲学の代表的な内容の「正義」について簡単に紹介しました。
哲学はとても非常に興味深く面白いものなので、是非みなさんも調べてみてください。
教養を知ることで日常を豊かにしていきましょう!
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