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K先生からいただいた温情

桜の季節がやってくると毎年
はるか昔の懐かしい出来事を思い出し、当時の温かな気持ちを思い出しています。

勤めていた頃、教務課という校務分掌で、教科書の注文を担当していたことがあります。
各教科から出てきた一覧表を見ながら、まとめて県に注文書を提出するのですが
当時は、家庭科が男女共習ではなく、女子だけだったのに
一学年分450冊注文してしまったのです。

教育委員会の担当主事をされていた先生から直接電話があり、間違いを指摘されました。
上司の印鑑が並んでいる文書なので、直したものを持ち回らないといけません。

しばらくして教頭先生から校内電話がかかってきたので、
叱られるんだろうな、と受話器を取ると
いきなり「大変申し訳ないんだが」と。

「担当のK先生が、書類にお茶をこぼしたそうで出し直して欲しい」と。
「そんな粗忽な人ではないんだけど、申し訳ない」とおっしゃいます。

いえ、私が間違えたので・・・と喉元まで出ましたが
せっかく庇ってくださっているのに、ここはその温情をありがたく受け取ろう、と思い
黙って書類を書き直して、課長の印鑑をもらいに行くと
教頭から話が伝わっているようで、とてもそんな雑な方ではないのだけど
と首を傾げながら、「悪いね」と書き直した私を労ってくださったりしました。

もしも家庭科の教科書が450冊届いたら
私が200冊買い取ればいい、というようなシンプルな問題ではないのです。
K先生が気づいてくださり、庇ってくださったおかげで、おおごとにならずに
次の春を迎えることができました。

その時に、人を育てるには、叱るよりも、庇う方が何倍も心に響く、と思いました。
(私が立派に育ったとは言えませんが、この出来事が無ければもっとポンコツのままだったでしょう。)

ただ、甘やかすのではなく、庇われた当事者が痛みと感謝を感じるような庇い方をする
ということが大事ですが。

その後、研修会などで、遠くからお姿を見ることはあっても
直接お礼を言う機会もないままになりましたが、
もし、K先生が上司になった時には、粉骨砕身、滅私奉公で仕事しようと思いました。

いまどき、そんな働き方は許されないと思いますが
いろいろな場面でK先生のような選択をしたいと、思いました。

いつかK先生にお目にかかって、当時のお礼を言いたいと思いつつ
もう長い年月が過ぎ、このままお会いできないかと思うと
せめて、文章に残しておきたいと思いました。

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