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コロナ禍で迎える 重陽の節句

菊酒を飲んで、不老長寿を願うという重陽の節句

古今東西、一番大事なことは命、健康であること、ということを
改めて思う機会でもある重陽の節句

重陽の節句といえば、雨月物語の「菊花の約」とセットで
思い起こされる人も多いと思います。

子供の頃、遊びに夢中になり、約束を忘れた私に
父が叱責と共に話してくれた「菊花の約」

その時は、約束を守ることがいかに尊いか、という話だと思っていました。

大人になって、フィクションとはいえ、当時の社会情勢や
人々の暮らしが色濃く紹介されているこの物語を読み
納得できる部分といまいちわからない部分とがありましたが
やはり魂になっても大切な人との約束を果たしに行くという美しい物語だと思っていました。


2005年4月25日に福知山線で起こった痛ましい事故に寄せて
こんなブログを書きました。

https://naturalspacetazzy.blog.fc2.com/blog-entry-1872.html

ところが、改めて読んでみると
疫病について書かれた部分に目を奪われました。
疫病下でなければただのエピソードとして気にも留めない部分です。

ここを読むと、当時の人も、疫病を恐れ、感染に対しては、完全な隔離など
対策をきちんとしていたことが窺われます。

そして正しく知り、正しく恐れる、という態度も
医薬を調合できる科学的な知識のある人たちの努力によって
今があるのだ、ということを改めて感じました。

以下に、原文を記します

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一日(あるひ)左門同じ里の何某が許に訪(とふら)ひて。いにしへ今の物がたりして興ある時に。壁を隔(へだて)て人の痛楚(くるしむ)聲いともあはれに聞えければ。主に尋ぬるに。あるじ答ふ。これより西の國の人と見ゆるが。伴なひに後れしよしにて一宿を求らるゝに士家(しか)の風ありて卑しからぬと見しまゝに。逗(とゞめ)まいらせしに。其夜邪熱劇(はなはだ)しく。起臥(おきふし)も自はまかせられぬを。いとをしさに三日四日は過しぬれど。何地(いづち)の人ともさだかならぬに。主も思ひがけぬ過(あやまり)し出て。こゝち惑ひ侍りぬといふ。左門聞て。かなしき物がたりにこそ。あるじの心安からぬもさる事にしあれど。病苦の人はしるべなき旅の空に此疾(やまひ)を憂ひ玉ふは。わきて胸窮(くる)しくおはすべし。其やうをも看ばやといふを。あるじとゞめて。瘟病(をんびやう)は人を過(あやま)つ物と聞ゆるから家童らもあへてかしこに行しめず。立よりて身を害し玉ふことなかれ。左門笑ていふ。死生命あり。何の病か人に傳ふべき。これらは愚俗のことばにて吾們(ともがら)はとらずとて。戸を推(おし)て入つも其人を見るに。あるじがかたりしに違(たが)はで。倫(なみ)の人にはあらじを。病深きと見えて。面は黄に。肌黒く痩。古き衾(ふすま)のうへに悶へ臥す。人なつかしげに左門を見て。湯ひとつ惠み玉へといふ。左門ちかくよりて。士憂へ玉ふことなかれ。必救ひまいらすべしとて。あるじと計りて。藥をえらみ。自(みづから)方(はう)を案じ。みづから〓55(に)てあたへつも。猶粥をすゝめて。病を看ること同胞(はらから)のごとく。まことに捨がたきありさまなり。かの武士左門が愛憐(あはれみ)の厚きに泪を流して。かくまで漂客(へうかく)を惠み玉ふ。死すとも御心に報ひたてまつらんといふ。左門諌て。ちからなきことはな聞え玉ひそ。凡疫は日数あり。其ほどを退ぬれば壽命をあやまたず。吾日々に詣てつかへまいらすべしと。実(まめ)やかに約(ちぎ)りつゝも。心をもちあて助けるに。病漸(やや)減じてこゝち清(すゞ)しくおぼえければ。あるじにも念比に詞をつくし。


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