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選択と運命。勝者と敗者。人生はなかなかうまくいかないけれど、「それでも笑えれば」(劇団ノーミーツ第3回公演 感想)

はじめに

◆観たのは初日2回と最終日2回の計4回。カミチケプロローグ未視聴。

◆「選択」と「芸人(へるめぇすとセッシ―4C)」に絞って書いてます。
 (他にも言いたいことたくさんあるんですが割愛。無念!)

◆記憶が曖昧な部分があるかもしれません。
 あとスクリーンショット全然ないです。ごめんなさい。

◆1回のみ観劇した方にはネタバレを多分に含みます。
 公演は終了しましたが、一言おことわりさせていただきます。

◆展開の好みについては個人の感覚や価値観が大きく影響しています。

◆「観劇のきっかけ」部分でコロナについて触れています。
  嫌な方は次の目次まで飛ばしてください。

※ただの一般人の感想です。つまらんと思ったらすぐに閉じましょう。※

いろいろと念押ししてすみません。
上記ご確認の上、つづきを読むかどうか選択してください。


観劇のきっかけ


「人生は選択の連続だ」

このキャッチコピーに惹かれ、なんとなく観ることを「選択」しました。

芸歴10年、今年が大舞台のラストチャンス。そんなお笑い芸人コンビ「へるめぇす」がコロナ禍の波乱の一年を悩み、選択しながら生きていくお話。

劇団ノーミーツさんのすごさは「むこうのくに」で知っていたのですが、実のところ今回はあまり気が進みませんでした。
「お、年末に新作やるんだ!コロナ禍の芸人さんがテーマか……でも選択式なのは面白そうだしとりあえず観てから決めるか」とチケットをポチリ。

その選択が私の2020年最後のひと時をここまで鮮やかにしてくれるなんて、想像もしていませんでした。

ナイス選択!(どうしても流行らせたい)

じゃあどうして気が進まなかったのか。
答えはシンプル。コロナに生活を支配されたくなかったから。

楽しみにしていた朗読劇、ライブ、ショーなどいろんなジャンルの現場が次から次へと消えていきました。
仕事は毎日行くのに、毎月の楽しみは消えていく。
新しい生活様式と言いながら、新しい現場はつぶされていく。
そんな状況の中、自分からわざわざその話題に突っ込みたくなかった。
テレビはほとんど見ないけれど、ドラマやバラエティ、SNSの投稿などに対して、感染対策は大丈夫かしら、ちょっと距離が近くないかしらと心配するようになってしまった自分がいて悲しくなった。

これ以上、自分の思考や感覚をコロナに染めたくなかった。
自粛前の感覚が失われていくことに虚しさを覚えた。

「お前はいつまで続くかわからない脅威のもとで、命を守るために心を削って生きていくぬるい絶望の中にいるんだよ」
「もうあの日々は戻って来ないんだよ」

そんなふうに言われてるみたいで嫌だった。

「みんな辛いけどコロナに負けずに一緒に頑張ろうね」

みたいな綺麗事を押しつけられるのも嫌だった。
みんなそれぞれ頑張っているし、これ以上頑張るにはもう疲れてるよ。

「それでも笑えれば」というタイトルに対して、もしかしたらこの作品もそんな薄っぺらいメッセージを孕んでいるのでは、と勘ぐってしまう自分がいました。(今となってはマジでごめんなさい)

話が長くなりました。

そんな不安が押し切られたのは、何より劇団ノーミーツの作品なら絶対に面白いという確信があったからでした。

言い換えれば、劇団ノーミーツというブランドへの信頼です。
前作「むこうのくに」で見せつけられた、フルリモートとは思えないような世界観と確かなクオリティ。心に訴えかけるいくつもの大きなメッセージ。
彼らはきっと現状維持では満足せず、更なる可能性を追求し、アップデートして提供してくれるはず。
そんな期待が、作品のテーマに対する不安をはるかに上回ったのです。
劇団ノーミーツさんなら技術だけじゃなくメッセージもズシンとくるかも、という期待も同時に膨らんでいきました。
実際、観終わった後、涙でベショベショになりながら「疑ってすみませんでした!!」と画面に向かって頭を下げました。

最高でした。本当にすみませんでした。


「選択」と「運命」


この作品には数多くの選択の場面があります。その中で私たちが関わるのは、優柔不断と言われている主人公「マキ」の選択
そして、その内容もしょーもないものから人生を左右するものまで様々。

例えばたい焼きは頭と尻尾どっちから食べるか、服はニットor割烹着(笑)どちらにするか、なんて本当にしょーもないのに、物語がどんどん展開していくにつれて、観客が下す(=マキが下す)決断の重みが増していく。

たい焼きの食べ方や服装をどうするか、コンビの未来をどうするか。どちらも「選択」の2文字で表せられるのに、重みは天と地の差です。

以下、物語を振り返りながら書きたいと思います。
そんな話だったね〜みたいな感じでお付き合いいただければ。

2020年3月。
2人はコロナの影響でスケジュールが白紙になったことを受け、ネットでチャンネルを開設しゲーム実況(またはモノマネ、ドッキリ)をして食い繋ごうとする。
しかし、そのせいでルリコはネタを書く時間がなくなってしまう。
面白いことをやりたくて動画作りに懸命になるマキととにかく漫才をやりたいルリコの間に温度差が生まれ、言い合いになり、いきなり最初の解散の危機が訪れる。
驚くのもつかの間、その選択はマネージャーの乱入によって中断される(先延ばしにされる)。この先延ばしという演出がリアルで好きです。

そのあとも、2人のコンビ続投を揺るがす出来事が次々と起こります。

2020年8月。
ルリコの彼氏、コウヘイは定職につき、プロポーズを仄めかす。芸人として自立したいルリコは、養われる立場になることが嫌で先延ばしにしてしまう。
マキはシングルマザーの母から突然連絡が来る。仕事が減っているのではと心配され、遠回しに「地元へ戻ってきたら」というメッセージを受け取る。また、母の体調が思わしくないのも察知する。

そこで2人は、「この包囲網を突破するには明確な結果が必要」と一念発起。お笑いグランドチャンプの準決勝を目指し、ネタ作りに奔走する。

2020年11月。
努力もむなしく、へるめぇすは準々決勝敗退。
格下だったはずの同期、セッシー4Cに先を越されてしまう。
がっくり肩を落とし、言葉を失うルリコ。
作り笑いで強がって、「おめでとう、頑張ってや」と勝者を祝うマキ。
先延ばしされていた決断の時が、ここでやってくる。

解散を受け入れるか、拒否するか。

ルリコがどれだけお笑いが好きで、どれだけ苦労してきたかを10年間ずっと見てきたマキには、誰よりも漫才が大好きな彼女が自分から解散を切り出すつらさが誰よりもわかる。
見ている側は彼女たちの10年を知らないので、「そんなすぐに諦めずに続けてほしい!」と思ってすぐさま"拒否"を選びたくなるけれど、マキの気持ちを考えると即答できないのも頷けました。
(全公演中、"拒否"ルートに進んだ回が多かったそうなので、そちらを選択したくなる人が多いようです。私も初見はそうしました)

ここからは個人の感覚が強くなりますが、私は解散を"受け入れる"ルートの方が好きです。
より心にグッと来るシーンが多かったように思います。

解散を切り出された時、本音をぶつけられなかったマキ。ルリコは「体調が悪い」と言って通話を離脱。その時、マキのスマホに着信が。

母が病に倒れたという連絡を受け、彼女は急いで通話を繋ぎます。
病床の母は、マキの仕事についてよく知らなかったはずが、本当はへるめぇすのことならなんでも知っていたと語る。準々決勝のネタも見てくれていた。結果も、わかっていた。
マキがつらいときや苦しい時ほど笑うのは生まれつきではなく、父が家を出ていってからずっと泣いていた母を見ていたから、という過去もここで明かされる。
ルリコから解散の申し出を受けたことを話すと、「すんなり受け入れたんでしょう。自分の気持ちはちゃんと言わなきゃダメ」と叱咤されます。

母は本当に子どものことをわかっている。ここでボロボロ泣きました。
画面のお母ちゃん見てると死ぬほど泣けてくるから滲んだチャット欄見ながら「涙とまらん」ってコメント打ってた。

そして、来る2020年12月20日。お笑いグランドチャンプ当日。
同期のセッシー4Cの粋な計らいにより、2人は久しぶりにzoom上で引き合わされます。
そこでやっと、大舞台で披露するはずだったネタに乗せて本音をぶつけ合い、彼女たちは晴れやかな顔で解散を決めた。
漫才でしかぶつかり合えないところが漫才師らしいと思いますし、その不器用さが人間臭くて愛おしい。まさか漫才見て泣くとは思いませんでした。

ここまでが、"受け入れる"ルートの展開。
以下、"拒否"ルートとの比較です。
個人的な感情が入っていますので注意。

マキは、解散を切り出されても笑って誤魔化さず、めずらしく真面目に一生懸命に、不器用ながらも気持ちを伝えます。
その姿にルリコが噴き出して、「あんたのこと説得するの無理や」とコンビを続投する流れになります。

が、自分が実際にマキと同じような状況になったら、果たして自分の気持ちをすぐに言えるか、と聞かれたら難しいと思います。
10年間、苦楽を共にしてきた相方が本当につらそうな顔をしていたら、頑張ろうなんて気楽に言えない。それに、辞めても行く先があるのだから「もう無理しなくていいよ」と言ってしまいそうです。
そのリアリティが、自分にとって"受け入れる"ルートの感動をより強めたのかもしれません。

また、拒否した方がいい方へ進むのではないか?という見る側の先入観を見事に裏切ったミスリードだったと思います。
拒否ルートでは衣装着て配信して最後までネタやって終わるので、見る側としてはよかったかな?とは思うのですが、解散を受け入れた場合との2人の表情を比べると、本当に2人ともこの延長戦を楽しめたのかな?という疑問を抱かざるを得ません。

どうやらこの物語が始まるずっと前から、ルリコの頭の片隅には「解散」の二文字がチラついていたように感じます。
コロナの影響や準々決勝敗退、同期の大躍進、彼氏からのプロポーズ、妊娠、どれもが決め手ではないと思います。
それらは言い出すきっかけになっただけであって、根本的なものはきっと、もっと昔から蓄積されていたのかもしれません。
その蓄積が、お笑いが大好きだから芸人になったのに、これ以上芸人を続けたらお笑いが嫌いになるという結論に繋がっただけ。

そして、クライマックスの選択は「解散」一択。

やられた!と思いました。中盤でのルリコの申し出を拒否しても受け入れても、この2人はコンビを解散します。
たい焼きを尻尾から食べようが、緑のニットを着ようが、解散を拒否しようが、2人の終着点は変わらない。

へるめぇすの解散は、変えられない「運命」でした。

しかし、その運命に辿り着いたときの心境や表情はそれぞれのルートで違っているように感じました。
マキはどちらのルートを選んでもルリコに本心を伝えることができますが、ルリコの様子を見ていると"受け入れる"ルートに進んだ方が、私の目には彼女の表情が清々しく見えました。

だからこのお話で言う選択とは、
運命を「変える」ための選択ではなく、
運命を「受け入れる」ための選択だったんだと思います。

そして、最後に観客一人一人が、マキがどう生きていくか選択します。
お笑いを続けるか、別の道を行くか。
どちらを選んでも、エピローグでマキとルリコは公園で再会し、心から楽しそうに笑い合って終わります。
どんな選択をして、どんな運命をたどっても、

それでも笑えれば。

人間、生きていれば必ず終わりがやってくる。
人間が等しくたどり着く運命は「死」です。
解散も、コンビとしての「死」を意味する。

だから、どんな時も悔いのない選択をしよう。
選択によって導かれる因果をいつでも受け入れ、
納得できるように生きていこう。
そう思わせられる演出とシナリオでした。

勝者=幸せ者なのか

ここからは、みんな大好きセッシ―4Cの矢島を中心に、勝者こそ人生の勝ち組なのか?を語りたいと思います。

硬派な漫才に拘ってきたセッシー4Cはマネージャーの関根の提案で「カップルを演じる」という重大な決断をした結果、人気が爆発的に上昇。
売れたことを素直に喜ぶ相原に対し、矢島は「魂売ったからな」「ロケもこのキャラでやらなきゃダメですか?バカみたいじゃないですか?」と葛藤する。

また、矢島はへるめぇすのことをめちゃくちゃ意識している。
序盤で意味の分からない絡み方をしたかと思えば、準々決勝で敗退し落ち込むマキを、「漫才、面白かったぞ」と褒めてくれる。
そして、「最近、話してないだろ」と言ってマキとルリコを引き合わせる。
(ここかっこよすぎて全観客が矢島に惚れたと思う)

つまり、矢島はへるめぇすの漫才が大好きなのだ。
ライバルであり、ファンなのだ。

心のどこかでは、売れるためにプライド捨ててキャラ変した自分なんかより、己の漫才を貫いた彼女たちの方が準決勝に進むべきだったと思っているかもしれない。
そんな彼女たちが解散すると聞いて、内心すごく残念だったと思う。

しかも矢島は、自分が面白いと思っていること(自分たちのスタイルやへるめぇすの漫才)を業界からことごとく否定され、自身も利益と引き換えに大衆に合わせて塗り替えられている。
このままでは散々食い物にされ、自分を見失った頃にブームが過ぎ去り捨てられてしまいそうで胸が痛む。
相原はコントもMCもバラエティも何でもやって1人でも図太く生きていけそうだけれど、矢島はルリコに似て純粋に漫才をやりたいタイプなので、一歩間違えると芸能界からフェードアウトしてしまいそうな気がする。

矢島はほかの芸人たちから見たら、間違いなく勝者です。勝ち組です。
なのに、どうしてこんなにも心配になってしまうのでしょう。
彼にも「それでも笑える日」が来ることを願ってやみません。

勝者には、勝者の苦悩がある。
勝者=甘い蜜を吸える立場、とはならないところが生々しい。
売れるためにキャラを演じることは、矢島にとっては茨のルートだった。
一方、相原は売れたことでやる気がみなぎり、生き生きしている。

売れたから良しと割り切るか、キャラを演じ続けることに苦しむか。

「あなたは自分の選択に対して自分で本当に納得できていますか?」という少々辛辣なメッセージに背筋が伸びる心地がしました。


最後に

難しい状況じゃなくたって、人生の選択は難しい。
でも、選択に正解も間違いもなくって、「良かった」と判断するのはいつだって自分なんだ。
失敗や後戻りに見えることも、視点を変えれば笑顔になれる。
そんなことを、劇団ノーミーツのみなさんが教えてくださいました。
だから、この演劇を観た自分にこう言ってあげたいです。

2020年、自分がしてきた選択は「難しい中よくやった」と笑おう。
2021年、自分がしていく選択は「難しいけどやってみよう」と笑おう。

素敵な作品をありがとうございました。

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