見出し画像

10/24長崎「逆のものさし講」、「逆のものさし人参畑塾」ありがとうございました!

10/24.第10回長崎「逆のものさし講」、第4回「逆のものさし人参畑塾」、10/25.「長崎(小島)養生所跡資料館」見学と、ご一緒して下さった皆様、
共に学び、共に体感し、共に歴史を感じたこと、大感動大歓喜をありがとうございました!

長崎を訪れるのは今回で5回目、
毎回、長崎の方々の魂のDNAに圧倒されます。

江戸時代、鎖国した日本で、唯一外国へ門戸が開かれていた長崎出島。

海の向こうの文明文化が往来し、

医学や科学の進んだ技術を求めた希望にあふれた魂たち、

神の目の前で多くの血が流れ、天に昇ったいった魂たち、

敗戦直前に、ピカッという光に一瞬にして、生身から引き離された魂たち、

長崎の人は、目に見えない魂といつも一緒にいる。魂のDNAが流れている。

長崎の人たちは、大の祭り好き、魂のDNAがその血潮をたぎらせるのだ。

新しいものを取り入れながら、進みながらも、目に見えない魂たちとも共生している。


翌25日、逆のものさし講に参加されている方のご尽力で、作家平野久実子さんのご案内を頂き、
「長崎(小島)療養所跡資料館」を見学、中国人の居留地だった唐人屋敷跡あたりを散策、

資料館で見聞きした知識と、居留地跡を歩く時の、時間の向こうから聞こえてくる人々の息づかい、牡丹社事件で倒れた名もない兵士達の墓の上を吹きぬけていく風。

明治7年の牡丹社事件の台湾出兵で、多くの兵士が倒れたが、それは戦いで倒れたのではなく、マラリヤや風土病で。医学・疫学の最先端の長崎に運び込まれたという。

それら全部を五感で感じ、身の内に置いて、歴史のたどり着いた今を、歴史に関わっている私はどう生きるか。

それが「歴史に生きる」ということ、平野久実子さんの姿とお話に感じました。

私は、縦糸の歴史の流れの中に生きている、社会や世間といった横糸にだけ生きているのではなく、

歴史が今に流れてきていて、その今をどう生き、そしてどう伝えていくか、

伝承をもって、今ここを綾なし、伝達をもって、未来に生きる。

歴史という縦糸と今の時代という横糸で、私を織りなすことが
「歴史に生きる」ということ。


縦糸の本質的なものを学ばず、横糸の世間の価値観に流されて、今日本人に本来の自由と自尊心がなく、縦糸を知らず横糸に飼い慣らされている。

健康・安全・保証と、命を長らえることに価値を置いている現代、そのものさしは、好きか嫌いか・損か得か・安全か危険か、子供のものさしだ。

大人のものさしは、本質を見抜く力、自分の規矩(きく、決めごと)をもち、立ち向かうこと。

何に命を使うか、だ。

先人たちが頑張ってくれて今があるのだから、私たちも頑張らねばならない。

学問も、先人から頂いているのだから、私たちも後世へ贈らねばならない。

頑張らねばならない。

しかし、“ねばならない”より強い人間の推進力を、長崎の人が私にくれた。

論語的な“ねばならない”は、確かにそれを身につけるべき時期もある。

それを経て、頑張って頑張って、頑張るが当たり前になって頑張ることを忘れた時、一気に上昇させてくれるのが、老荘的な長崎の心「よかよか」。

相手の頑張りを心から認めながら、痛みを知っている心が発する“まっ、いいか”が「よかよか」。

「ねばならない」で自力であがいてもたどり着けないところに、「よかよか」は、一気に押し上げてくれる。

全く別の燃料を注がれたように、魂の燃焼が加速するのだ。

本来、私たちはエネルギー体。エネルギーという魂を燃やしているか?魂で仕事をしているか?

子供のものさしを捨てて、危険を承知で仕事をする人たちのように、肉体を惜しまない、肉体が無くなっても残る魂の仕事をしているか?

見えないけれど確かにある魂を、強烈に感じた長崎でした。
ありがとうございました!

次回、長崎「逆のものさし講」、長崎「逆のものさし人参畑塾」は、
2021年2月20日(土)です。

次回は、日本の歌姫◯山先生の童謡からはじまり、その前座の◯居さんも、おお張り切りです♪

人参畑でも、魂注入です😆


この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?