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115系2000番台はなぜ番台消滅したのか

岡山で孤軍奮闘していた115系2000番台、L16編成とL17編成が廃車回送されたそうで。これにて115系の2000番台は新製番台区分としては0番台に続き消滅となってしまいます。

2000番台には体質改善工事を受けた更新車も多く、状態が良かった印象を受けますから「もったいない!」と素人目には感じてしまいますね。
300番台・1000番台・3000番台などが健在の中、なぜ2000番台は番台消滅してしまったのでしょうか。

①少数派としての存在
115系2000番台は1000番台から耐雪耐寒構造の一部を省略した番台であり、いわば300番台の増備型という位置付けの車両です。合計488両が製造された300番台や合計651両が製造された1000番台に比べ、2000番台の製造両数はそもそも広島地区に100両、身延線用に47両の合計147両に留まります。
身延線用の増結クハ8両が新潟地区に転用され、民営化を迎えましたがどの会社も1000番台を継承していますから、この時点で各社で少数派になっていることがわかります。
そして、1000番台という「上位互換車」の存在は、終生2000番台を追い掛けてくることになります。

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②各地の車両計画の規模

静岡地区の車両取替や広島地区の車両取替は一定の段階を踏んで行われてはいますが、その規模を考えると破壊力・影響力は激しかったと言えます。
こうなってしまうと「少数発生する余剰車を玉突き転用して」といった有効活用が全車両に対して行える状況ではありません。さらにローカル線区であればあるほど、1000番台と最適化されたその改造車が配置されている現状では、残念ながら適当な転用先もなかったというのが現実です。

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③新しいように見えるが…
ただ、間違えてはいけないのが、2000番台の製造年は1977年〜1981年です。
0番台や300番台とその改造車の存在と徹底した体質改善工事によって、相対的に2000番台は新しい印象を受けますが、気付けば車歴40年の電車となっていたという事実は残念ながら揺らぎないものです。西日本の車両に行われていた40N体質改善工事や30N体質改善工事は新造後40年や30年の使用を想定したものです。つまり想定通り2000番台はその使命を果たしたと言えるでしょう。

模型では?
模型では113系2000番台との共通点も多く、どちらかというと製品にも恵まれている印象です。番台消滅は残念ではありますが、模型で作ってその功績を次世代につなげるということも重要ですね。
更新綜合車両事務所では115系に使えるパーツも色々と頒布していますので、是非一度公式ホームページにもいらしてください!

http://koushincarfirm.work

更新綜合車両事務所の中の人でした!

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