教条主義のデメリット

皆さんこんにちは、エスネコです。

今回は「教条主義」がテーマです。

教条主義とは

ドグマティズムともいう。哲学上では定説主義や独断論をさすが,マルクス主義理論では実践による検証を怠り,マルクス,レーニンらの教義を無批判に盲信するような知的怠惰をさす。とりわけ 20世紀後半の歴史的変化に対してマルクス主義が生命をもち続けるには,教条主義を脱して創造的な理論の深化を試みなければならないとされる。
(出典 ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典)

この文章ではいまいち定義がわかりにくいですね。

僕的に説明すると、
「ある考えを、根拠をなしに言い張ること」ですかね。

周りがそうだから、今までこうだったからとか、
自分だけの見方で判断するとか。

上記のマルクス主義理論では「実践による検証を怠り」ともあります。

つまりは、根拠なしの意見と考えれば矛盾しないと思います。

教条主義のデメリット

さて、本題に入りましょう。

現在、日本の上層部は教条主義的になっています。
なぜなら、今までの形式に固執し、
変化を避けているからです。

物事には変えてはいけないこともありますが、
変わらなすぎると、いつか時代に合わなくなっていきます。

そうなると、どんどん世界から置いていかれ、
あっという間に後進国になってしまします。

変化の先にあるもの

しかし、変化しすぎるというのも
それはそれで問題です。

昨日は右を向いていたのに、今日は左を向くというような
状況では、前へ進むことができません。

もちろん、ある目標地点へ向かうための軌道修正は良いことです。

ですが、社会が激動する現代では、個人の存在そのものが揺らいでいます。
そんな状況下で、自分の軸を持つことはとても大切です。

例えば、僕の尊敬する落合陽一さんは、
「変わり続けることを変えず、作り続けることをやめない」
という座右の銘があります。

現代はこのような態度で生きることが、
自分自身の存在の証明になり、
生きることそのものになると思うのです。

結論

生きる限り、変化することは必要です。
しかし、変化をし過ぎると、
時間をかけて成し遂げることへの感動がなくなってしまう気がします。

たった一個のことを貫きながら、なお変化することをやめない。

そんな時代に僕たちは生きているのです。

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