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きょうのこと

 3時前に起床。水曜日の22時から、お気に入りの集まりのリアルタイムを逃していた。急降下。哀しみに、纏わりつかれる。

 なぜ、不安定な状態になっているのかと言うと、起床時間の生活の7割は、詩やXに関する時間になっている。元々は、大学を出て、新卒で訪問看護師をしていた。意識を覚ますと、年齢がひとつ増えていて、仕事・頭蓋骨の一部・声・歩行機能を失っていた。

 訪問先で、気管切開をしていらっしゃるかたの吸引や、栄養注入、バイタルサインの確認も行っていた。まさか、自分がしてもらうとは思わず、高齢になると慢性疾患・疾病で、受診に行きづらい、又は移動が体調を悪化させてしまうからと、訪問させていただくかたもいらっしゃった。まさか、20代で訪問してもらう側になるとは思わなかった。

 今朝、何が、私の精神状態を急降下させたか。私と母の関係性だ。端的に言うと、私は高校生以降は自律して私なりの生活を続ける予定だった。
 小学生で自殺したいほど、気の使う家族だった。母は、自分の気持ちが強く、喜怒哀楽大きすぎた。

 その母が、私が怪我をして入院、実家に帰るしかなかった。母は、私とリハビリ・ヘルパー・先生・相談員さんとの交流をみて、家に帰ってこれて嬉しいんだな、よかった、と思っていたらしい。日常生活の援助、仕事として来ていただいたひとに気を使わない訳がない。おめでたいものだ。

 私は、歩行器と車椅子で家の中を、動けるようになったが、荷物を運ぶことができない。外出制限もあり、身分証明書・保険証も母が保持している。
 身体障害者ということで、就労支援の在宅ワークで文章を作成する部門をさせていただいている。時給性であり、文の内容に関わらず、一定の賃金はいただける。

 20代で家族をつくるなど、可能性を失ったため、音楽好きに興味が走った。それを全部母に制限されていることが、寝起きに戻り、いままで我慢していた事柄と、母からの制限に抑え切らず感情が荒ぶった。泣き叫んだ。

 いま、落ち着いて考えると可笑しくない。ひとの生死に関わって生きた来たのに、私がその立場になり、母には理解してもらえないだろう。
 早朝に落ち着いてから、少しお時間をいただいていいですか?と、話し合う時間をもらった。ライブや趣味に関しては、身体障害が落ち着き、働けるようになれば自分で行くとし、6/8のサイン会だけは許可を得た。

 そこだけが私の限界。一生に一度の30歳の誕生日だけは、私の好みに動かせてくれ。

 本音が言えて、叶えられるのであれば、怪我する前に戻りたい。そんなことは、漫画やストーリーじゃあるまいし、できない。出来ることはまだ、増えるかもしれない。還暦を迎える頃には、可愛らしく思っているかもしれない。
 まだ、半分も生きてない。生きているなら増やしていこう。ほんとうに、笑えることばをつくれるひとになりたい。//


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