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突如湧いてきた事業アイディアと、「カルチベート」。

2019年のクリスマス。12月25日。

ある事業アイディアが湧いてきました。

幾つかのアイディアのピースが、一気に集まって組み上がっていく感じ。何でしょうか、これは…?

ひと言で言えば、音楽家を目指す子供達向けの支援事業、とでも言えば良いでしょうか。

実際、我が家の一番の悩みどころは、子供のヴァイオリンレッスンにかかるお金です。

子ども向けの音楽教室に通わせていますが、その月謝、そして楽器代等々含め、一般のサラリーマン家庭にはとても厳しい負担です。

同じような家庭は他にもあるでしょうし、お金が理由で音楽家への道を諦めた人もきっといるのでは無いかと思います。

我が家もそのうちにそんなシチュエーションがひょっとしたらいずれ訪れるかもしれず、お金の為に夢を諦めさせるのは子供に申し訳ないなと思うのです。

そんな事をぼんやり考えていたら、それを解決できそうなアイディアが浮かんで来ました。

以下は、忘れないように書き殴ったメモです。

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これだけ見ても何のこっちゃですが、これを出発点として、具体化に向けてイメージを詰めていこうと思います。

今年は(今年も)色々な出来事がありましたが、年の瀬にこんなにもポジティブなアイディアが湧いてきたのは嬉しくてたまりません。

そしてこのタイミングで、ある人から教えてもらった太宰治の「正義と微笑」からの以下一節。

“勉強というものは、いいものだ。代数や幾何の勉強が、学校を卒業してしまえば、もう何の役にも立たないものだと思っている人もあるようだが、大間違いだ。植物でも、動物でも、物理でも化学でも、時間のゆるす限り勉強して置かなければならん。
日常の生活に直接役に立たないような勉強こそ、将来、君たちの人格を完成させるのだ。何も自分の知識を誇る必要はない。勉強して、それから、けろりと忘れてもいいんだ。覚えるということが大事なのではなくて、大事なのは、カルチベートされるということなんだ。カルチュアというのは、公式や単語をたくさん暗記している事でなくて、心を広く持つという事なんだ。つまり、愛するという事を知る事だ。
学生時代に不勉強だった人は、社会に出てからも、かならずむごいエゴイストだ。学問なんて、覚えると同時に忘れてしまってもいいものなんだ。けれども、全部忘れてしまっても、その勉強の訓練の底に一つかみの砂金が残っているものだ。これだ。これが貴いのだ。
勉強しなければいかん。そうして、その学問を、生活に無理に直接に役立てようとあせってはいかん。ゆったりと、真にカルチベートされた人間になれ! ”
 (太宰治 「正義と微笑」より)

カルチベートの結果、一つかみの砂金がようやく輝き出したのかもしれません。

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