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今の会社の姿は、きっと多くの社員が望んでいる姿なんだろう。

先日、数年前に会社を卒業(早期退職)され、中小企業診断士として活躍されてらっしゃる先輩社員の方にお話を伺う機会がありました。

印象に残ったのは、独立してよかった点として、「無駄な仕事をする必要がいっさい無くなったこと」と真っ先に仰っていたことです。

特に上司のために分厚い資料を作る(作らされる)行為。社内で優秀だと言われる人ほどその社内資料の作成に多くの時間を取られている。あれほど無駄なことはない、と。

そしてもうひとつ、よく居酒屋でサラリーマンと思われる人たちが、会社の愚痴や部下の陰口を叩いているシーンを見かけるが、あれも非生産的な行為極まりないよねと。多少の鬱憤は晴らされるのかもしれないけど、そこからは何も生み出さないよね、と。

多くの人が、働いている会社や上司、または思うように動かせない部下に対して不満を持ち、陰で愚痴をこぼしているものと思います。

雇われ社員のひとりが多少声を上げたとしても状況は変わらないだろうし、下手に声を上げることで自分の立場が悪くなる可能性もある。その気持ちがわからなくもありません。

しかしながら、いくら本人のいないところで愚痴をこぼそうとも、行動を起こさない限り、当たり前ながら状況は何一つ改善されません。

結局のところは、行動に起こさないという選択をしている以上、現状を変える意思がないのと同じであり、現状維持を望んでいるのと同じです。

つまりは、いまの会社の姿は、多くの社員が望んでいる姿、そのものなんだろうと思います。

私は、「変革の当時者 代表」と名乗ってます。

今の会社で、会社のあり方に疑問を持ち、何とか良くしたい、変えていきたいと本気で思ってる人たちと議論する場を作り、その場の名前を「変革の当時者」とつけました。

この言葉を選んだのは、風土改革の一人者であり、スコラ・コンサルト創設者の柴田昌治さんの著書に感銘を受けた事にはじまります。

柴田さんの著書には、ほとんどの社員は不満を口にはすれども本気で困っているわけではない。本気で会社を変えてやろうというエネルギーを持っている人=変革の当事者になりえる人はわすかだ、書かれていました。

自分に変革の当事者になりえる資格があるかどうかはわかりませんが、少なくともそうありたいという思いでその名を付けました。

しかし、実際は、声を上げるという行為はなかなか勇気のいる行為です。そして事実、何度も痛い目にあったりしています。しかし、諦めてしまっては状況を1ミリも変えることはできない。その思いを胸に、仲間内と議論を深めています。

そんな私に(私たちに)勇気をもたらしてくれた記事があります。

以下、堀潤さんの記事です。

民主主義の反対語は「沈黙」である、と仰っています。

”民主主義の反対語が何かわかりますか?
辞書を引くと「独裁」などとでて来ます。一人の権力者が人々の生きる方向性を決めてしまう国のあり方です。でも、僕は民主主義の反対語は「沈黙」だと思っています。
例え独裁者がいなかったとしても、人々が沈黙して、何も語らなくなってしまえば誰かの大きな声に従って生きなくてはならないからです。
だから、僕は勇気を振り絞って誰かが発信した声を拾えるだけ拾って一緒に考えたいと思って、今の仕事を続けています。
どんな声でも、そこから皆で議論し、前進していけばいいんです。
黙ってしまったら何も始まりません。”

ぜひ、記事全文をご覧になってください。

権力のもとにひれ伏し、自分の意思を押し殺して生き続けていくのか、それとも勇気を出して行動し自分の幸せを自分の手でつかみにいくか、どちらを選択するかは自分次第なのです。


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