本当のラップ好きはドレッドヘアーなんかにしない。

 私は今年大学一年のまだまだ乳臭いガキなのですが、高校の時から何かとラッパーかぶれというかそういうヤツがいます。私はラップ好きを親しい人以外にガンガン出していないので、そういう人と関わる機会が少ないのですが、私が関わったそう言う人は決まって
 「ドレッドにしてー」
 みたいなこと言います。これに言いたいのは、
 「いや、お前ラップちゃんと聞いてんの?」
 です。

 HipHopを構成する要素にFlexing ,Boastingというものがあります。所謂、ワル自慢とか金持ち自慢ってヤツです。これが厄介でラップを音楽として聴いてないやつとか、ラップを聴いてる自分に酔ってるやつ(これは俺もか)ってFlexingとなBoastingという行為自体がかっこいいと勘違いしてしまいます。表面的な要素しか感じとれずにラッパーの物真似してクスリとか、ドレッドとかタトゥー(まあ、タトゥーはオシャレだからいいか)とかをやっちゃうわけです。でも、よく立ち止まって考えてみると、自慢する行為って全然かっこよくないんですよ。横にいる全然見知らぬドレッドヘアーの黒人がジュエリー見せびらかしたり、とかコカイン吸ってるの見て
 「スゲー!俺も真似しよ!」
 ってなりますか?流石になりませんよね。私自身、ラッパーのFlexingとかBoastingを聞いたり見たりして「おお」、とはなりますけど実はその行為自体にかっこよさを覚えてるんじゃなくて、彼らの人間の深みとか、怖さとかに惹かれてるんですよね。彼らの行為のかっこよさじゃなくて彼らの人間としてのかっこよさに惹かれてるわけです。つまり、何が言いたいかっていうと、ちゃんとラップを正当に捉えられてる人ってそのラッパーの『人間』を評価してるのです。自分が憧れるかっこいい人間がたまたまラップをやってるってことを理解してるのです。

 これが大事なことで、大体ラップとかHipHopをちゃんとフラットに聴いてて、そのラッパーの芯に憧れてる人っていうのはドレッドにはしないんですよ。何故なら自分がその上っ面だけ真似たところで、お化粧してる3歳の女の子と何ら変わりがないのがわかってるからです。そうなると必然的に、人間としてのかっこよさを磨いたり別ベクトルの努力をします。そう言うひとが本当にラップを愛してるひとなのではないのでしょうか。

 実際、私もTravis ScottやFuture,Young thugなどを聞きますが、彼らには人間としてのかっこよさをあまり感じません。凄いビジネスマンだな、くらいですかね。逆にJ.cole,Eminem,Kendrick lamer,
Joey badassなどは人としてかっこいいと言うか、深いところまで思慮が行き届いていると言うか、そういう『大人』な魅力がビンビンです。彼らはラップをやってるからかっこいいのではなく、彼らの人間がかっこいいのです。

 まとめますと、ドレッドとかにしちゃう人ってラッパーのスタイルとかラッパーの格好とかをただのファッションアイコンとしてしか捉えられてないんですよ。まあ、これは私にも当てはまることなのですが、そういうのって本当にバイアスなしで、フィルターなしでラップを聴けてるのか明言できないじゃないですか。私は音楽を聴く際に、自分が本当にこの音楽をフラットな目線で評価してるのか、って言う自問自答が必ず必要だと思うのです。彼らがなぜかっこいいのか、そこの本質に多くの人が気づけることを願います。