雨の神田で女性の担ぐお神輿を見たり椿姫のLPをジャケ買いしたり/パン・アフリカニズムとアフリカの反核運動
5月15日(月)雨
朝、モーニングページを書いていて、今日が5月15日だということに気付いた。昭和7年の5・15事件から91年。もうそんなになるわけか。昭和は遠くなりにけり、とは言うが、最近は左側の方から締め付けの厳しい軍靴の音が聞こえてくる感じがし、物騒な時代になってきたなあと思う。常識がさらに壊れていく時代にあって、正気でいること自体が大事なことになってきたなと思ったり。
昨日は10時過ぎの特急で帰京し、東京駅構内で弁当を買った後、丸善で「バーナード嬢曰く。」の6巻を買い、帰宅。東西線で人身事故が遭ったらしく、まだダイヤが乱れていた。お弁当を食べて一休みした後、届いていた簡易書留を取りに郵便局の本局へ。地下鉄の沿線ではないので都バスで出かけ、最寄りの停留所で降りて少し歩く。昨日も朝からずっと雨が降っていて、東京についてからは帰宅まではもっていたが、このあたりで振り出した。郵便局の前まで歩くと、向かいにあったダイエーが無くなっていて、知らないうちに町の作りがだんだん変わっていくなあと思う。
書留を受け取った後、都営地下鉄に乗って都心に出る。小川町で降りて三省堂の仮店舗へ行き、いろいろ見たが買わなかった。雨の中、街では神田祭のお神輿が出ていて、あちこちで遭遇した。本やレコードを見て歩き、ディスクユニオンで1952年のアメリカ盤のヴェルディのオペラ「椿姫」のハイライト集LPと1982年のテレマンのオーボエ曲集を買った。どちらも盤質がCとかBとかでだいぶ安くなっていたのだが、椿姫はジャケットが気に入ったので買った。まさにジャケ買い。しかしLPレコードを持って雨の街を歩くというのは思ったより鬱陶しくて、祭りの日だからか結構な店が閉まっていて、あいている喫茶店もスタッフ不足な感じだったので、小路を少し入った道とか歩いていたら、新しい古書店を見つけた。
けっこう大きな店舗にジャンルは雑多、古書も雑誌も扱っていて、壁にはアニメポスターが貼ってあったり、かなり昔のエロ雑誌が置いてあったり、歴史書が思ったより充実したりしていて、そういう店の作り方は結構好きだなと思い、アフリカ関係の本を探したら矢内原勝・小田英郎編「アフリカ ラテンアメリカ関係の史的展開」(平凡社、1989)という本を見つけたので買った。まあこういう本は正直マケプレで探せばもっと安く手に入ることは多いのだけど、新しい店を見つけた記念でもあるので、買ったのだった。
靖国通りに戻るとちょうど神輿が大通りを通っていて、よく見たら担いでいる人たちが全員女性だということに気づいて驚いた。何かケーキを食べたいと思って喫茶店に入り、レッカライとコーヒーを頼んで一休み。
帰りは地元の安いスーパーに行って鮨でも買おうと思ったがもう売り切れていて、レーベンブロイと空豆とノリ弁当など買って家に帰り、「椿姫」をかけ、空豆をつまみながら一杯やった。レコードは一か所針飛びする箇所があったのと、音割れが何カ所かあり、盤をプレイヤーに載せたら波打っていたが、内容は全体に満足した。テレマンもよかった。
今朝は4時ごろ目が覚めて、考え事をしながら5時ごろコンビニに雑誌と朝ご飯を買いに行き、考えたりマンガを読んだり風呂に入ったりご飯を食べたりなんだかまとまらない感じでいたらいつの間にか時間がたっていて、多少の骨休めにはなったと思うが仕事は全然進んでない。休みの日にものを考えようとするのはなかなか大変だ。
「岩波講座世界歴史アフリカ諸地域」、最後の論文は「パン・アフリカニズムとアフリカ」。主に19世紀終わりから20世紀初めにかけての、アメリカ・中米カリブ海・ヨーロッパでの黒人活動家の「パン・アフリカニズム」の活動について。このあたりを読んでいると、黒人にもさまざまな置かれた状況や立場があるのだけど、北中米ヨーロッパなどの「ディアスポラ」した先での黒人たちの考え方や活動と、植民地化に置かれたアフリカの人々の考えや活動などを全体的にとらえる運動として「パン・アフリカニズム」が成立したのかな、と解釈したのだが、もしそうならそれは同じ理由で大きな困難があるだろうなとも思った。
ただこの稿では様々なアフリカ外の出身の運動家たちの動きが描かれていて、実際にどのくらい稔ったかは別にして、南アフリカなどで大きな活動があったのだなと思った。南アフリカの宗教を調べていた時にアメリカ系の教会がずいぶん力を持っているのはなぜかと思ったのだが、このあたりの活動と関係があるということは分かった。
第二次大戦後はパンアフリカニズムの主導権はアフリカ人、特にガーナのンクルマに移り、彼はアメリカ黒人のパドモアを政治顧問にして国作りを進めたという。
実際のところ、ヨーロッパ人たちがアフリカ人たちに上からの姿勢で指導を行ったように、アメリカ黒人たちもまたアフリカ人たちにそういう姿勢で臨んだ例は多かったようで、「同じ黒人」というカテゴリ付けはいろいろと難しいだろうなという感想を持った。
最後のコラムは「原爆と反核」という題で、日本に落とされた原爆の原料のウランがベルギー領コンゴのカタンガ州で採掘されたこと、防護服も無しに作業した作業員たちが被爆に苦しんだこと、フランスの核実験はアルジェリアで行われ、そうしたこともあってンクルマらがアフリカの反核運動を主導したこと、などが書かれていた。
ジェンダーのこともそうだが、パンアフリカニズムや反核などの政治運動について、そのシンパの人がこういう論文を書いたものについては、その運動自体の問題点などが触れられないことが多いので、どこまで真に受けていいものかは迷う。ただ現代史においてイデオロギーというものと付き合うのは避けられない部分もあるので(ジェンダーなどの分野になると通時的にそうなってしまうが)、話半分に聞きながらほかの文献にもあたっていくしかないなと思ってはいる。ただ、こういう「講座本」においては、シンパ以外の人がより客観的に書いた論文を載せてもらえた方が、より手間は少ないとは思う。
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