トランプ支持者が求める「平等」
昨日のエントリは元々はこれからの世界が何を価値とし、何を目指す社会になっていくのか、ということを考えながら書いていたのだけど、今思うのは「平等」がその価値かもしれないということ。
元々は、マイノリティ差別や女性差別というものは「平等への願い」から取り上げられていたものだったはずなのだけど、最近は平等というよりも「才能があるのに」「能力があるのに」属性によって差別されている、ということの問題視が中心になってきていて、つまりは「能力における差別は正しい」という話になりつつある。
それをメリトクラシーと呼ぶわけだけど、最近はこれに対する批判、というか反発が割と原初的な形で高まってきていて、アメリカのトランプ現象なども本質はこれなのだと思う。
つまり世の中にはポリコレの人たちによって「特権的な属性」と考えられてきた「白人男性」の中にも非常に経済的・社会的苦境に喘ぐ人が多いということ。これは日本においては「日本人成人男性」ということになる。実際には若者や女性、外国人の方が就業機会に恵まれやすくても、「白人男性」が抗議しても届かない構造になってきている。
彼らはトランプを支持し、「偉大なアメリカを再び」をスローガンに、かなり大きな精力を構築することに成功した。トランプ自身は気まぐれなのでこういうものを維持していけるのかどうかはわからないが、未だ産業革命期の「ラダイト運動」並に破壊にしかできていないこれらの人々がちゃんとした勢力になってくれば、メリトクラシーを正義とする社会は変わる可能性はなくはない。
トランプ支持者が求めているものは「平等」だというと屁理屈みたいに聞こえるかもしれないが、その辺のところをきちんと受け止めていかないといけないと思う。
長い文章ではないけど、とりあえずそこを指摘しておきたい。
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