人文学者と裁判官という「日本の祭祀階級」の社会からの遊離/秋アニメ:「アオのハコ」「ダンダダン」のOPが素晴らしかった
10月4日(金)雨
昨日は背中を痛めてしまって午前中は結構難儀をしていたが、午後からは結構楽になってなんとかなった。今でも痛み自体が完全にないわけではないが何もなければ忘れているのでとりあえずは大丈夫か。しかし今日はいろいろ予定が入っているので無理しないように行動しようと思う。
人文学者が近代における司祭階級のようなもの、という指摘はなるほどと思ったのだが、日本においてはどの程度のものと考えるべきか。江戸時代の国学者や漢学者が町人や武士階級にも人の道や社会のあり方を説いていたのと同じように、英文学やギリシャローマの古典文学なども説く人はそういうところがあったけれども、マルクス主義・社会主義系の人たちというのは「20歳までにハマるのはいいが20歳過ぎてもハマったままなのはダメだ」という扱いだったわけで、それが強い勢力を持ってしまったのは社会主義に対する期待が高まり過ぎたということはあるだろう。現代の人文系と総称される学者はいまだにその尻尾を引きずっているので、祭祀階級というよりは革命運動家の流れであって、批判だけしてればいい子供みたいな人たちになってしまっているとは思う。
日本近代においてはむしろ裁判官、司法官がそういう神に近い判断を下す役割みたいなのがあり、大津事件とか戦後の闇米食べずに餓死した裁判官とか、司法官の公正・清廉なイメージで強い信頼が持たれていた。しかし最近どうも疑問のある党派的な判断が多くなってきている。
特に雁琳裁判などを見ているとどう見ても社会的に不利な状況にある方よりも有利な状況にある方に有利な判断が下っていて、憲法という聖典の教理、「法の下の平等」すら守る気があるのか危うい。公正な司法への信頼は日本の財産だと思われてきただけに懸念は強い。
裁判官たちの実態は、いわゆる「意識高い系」の思想、すなわちマルクス主義系の思想に毒されているのはそれこそが社会正義だという「学校で教えられる真理」から一歩も抜け出せておらず、人間や社会に対する洞察が不十分であるように思う。
そういう意味で司法改革は必要だと思うのだが、どうすればいいのかの具体策はよくわからない。
秋アニメが始まった。時間がないのでそれぞれ少しだけ見たのだが、「アオのハコ」も「ダンダダン」も素晴らしい。
「アオのハコ」はアヴァンとOPだけ見たが、OPがすごくよかった。2024年の技術でスポーツ青春恋愛ものをやるとこうなるのかという感じ。めちゃくちゃいい。配役の声は、多少私のイメージとは違うのだが、まあアニメだからこういうものかとは思うのだけど、スポーツをしている子たちの声はこういう感じじゃないんじゃないかという気はした。まあ見ていくうちに慣れるとは思うのだが。
「ダンダダン」はスタッフをフィーチャーしているし、場面的にもウルトラQなど典拠を探りたい場面が多くあって、アニメ・特撮史へのリスペクトを強く感じた。
サポートありがとうございます。記事内容向上のために使わせていただきます。