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足る、満足が腑に落ちるとき

昨日、土曜日の話だ。個人的におもしろい出来事が起きた。これまで、その状況内にあるときは決まったパターンが起きていた。しかし、そうならないことが起きるんだなと発見があった。その気づきがすこぶる自分を楽しませたのだ。

週末になり、毎週ルーチンの長距離ランニングをした。平日に行った仕事の疲労がごっそり残っていたこと、その疲れをほぐすために昨晩ヘッドスパに通ったこともあり、100分以上は走らないと決めてランへ出かけた。

じっくりゆっくり噛み締めるように走った。疲れを溜めたくなかったので、100分経たなくても違和感があれば止めようとも決めていた。そういうリラックス感もあったからか、気持ち良く100分・17km走りきることができた。

ランニングをしたあとは“かなり”腹が減る。アプリの数値上、10km走ればおよそ600キロカロリー消費する。朝ランをするときは朝食抜きで走ることもありすっごいお腹が空く。茶碗山盛りのご飯がおいしい。

ましてや、15km以上走ると1,000キロカロリー以上消費することもあり底無しの食欲が湧く。

17kmランを終えた時刻はお昼の12:40、ちょうどランチの時間だ。給水し、汗を拭き、車に積んだよそ行きの服に着替え、現場近くのパンカフェへ行く。空腹も手伝いごっそりとパンを買った。「ここで食べて行きます」とブラックコーヒーを頼み、カウンター席へついてピザパンをがっつく。いつもなら、買ったパンたちをこの場ですべて食い尽くす。今回もそのつもり満々だった。

しかし、パターンが崩れた。当初の空腹をよそに、ピザパン一つで満足してしまったのだ。パンが大きかったのではないかと思う人もいるだろうが、いやいや全然。直径10センチほどの小ぶりなピザパンだ。

そのパンが重かったとかではない。気持ち悪いからもう食べたくないというのでもない。お腹がいっぱいになったというのでもない。

すっかりそれで満足してしまったのだ。胃も心も体も満たされてしまったというか。いっぱい買ってしまったけれど、今この場で食べるのはこれ一つで十分だ。そんなふうに思えたのだった。また、であるからこそ食後のコーヒーのおいしさが沁みた。

これは今までにない出来事だった。長距離走ったあとにパン1枚だけで満足するなんて。「これ以上食べたくない」ではなく「これ以上食べなくてもいいや」という感情。自分のこれまで当たり前に思っていた感覚が揺さぶられた。足るを知るではないが、今までとは異なる仕方で満足できたのが嬉しかった。あ、自分はこういう人間でもあるんだ、という発見というか。あるいは自分がそれまでの自分とは異なる人間に変わったような。

ランニングで整った分、いつもと異なるランチの時間は芳醇なひとときだった。人生これでいいのだ、と思えるような悟りを得た感じ。何か心の余裕を持てた。コーヒーカップを片手に窓の外の空や向こう側に見えるホテルを眺める時間が有意義だった。スマホを眺めることもなかった。

何がきっかけでそうなったのかはわからない。前日に頭や体をほぐされたこと、ランが気持ち良かったことなど、心身の緊張が解けていたこともあるだろうけれど、それでもいつもそれらを凌駕していく強欲な食欲があっさりとしていたことは驚きだ。

自分とはまだまだわからない生き物だなとつくづく思う。でも、それだからこそおもしろい。



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