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平成のラジオ 〜外伝・ それは近所にあった〜(※お得情報付き)←情報は終了しました。

きっかけは、新型コロナウイルスだ。自宅でも検温をマメにと考えて、体温計を出したら、電池切れ。そう、ボタン電池だ。量販店、ネット通販、売り切れているという。こういうご時世ならマスク同様、一時的に売り切れることもある。しょうがない。

ではと頭を切り替え、地元の電器店ならあるのではと思い、我が家から徒歩2分の、いわゆる町の電気屋さんで「ボタン電池ありますか?」と尋ねたが、ないという。同じようなことを考える人はいるのだ。諦めて店を出ようとした矢先、ガラスケースの中に、十数年ぶりに目にする商品があった。使えるの?いや、誰が買うの?ワイシャツにネクタイ姿の店主に聞こうと思ったが、聞けなかった。聞けなかったが、こっそりスマホで撮影した。

それは買うべきものなのか

撮った写真を同業の知己に送った。これは買うべきかと尋ねた。
「買った方がいい」と言う。

そうか、買ったほうがいいのか。いや、無責任だみんな。
かくして数日後、夕飯の食材を買いに出た途中、長ネギを持ったまま電器店に入り、ガラスケースの品を指差し「あの、これ・・・いくらで売ってくれますか?」と尋ねた。

これだ。

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そう「見えるラジオ」だ。
パナソニック(松下電器産業)のRF-VR10 S(シルバー)だ。
売ってた。いや、並んでいたのだ。
なお、この記事の最後には大変お得な情報があることを、先に申し上げておく。

これぞ「平成のラジオ」

1995年から2014年まで、FM各局で実施されていたFM文字多重放送。TOKYO FM-JFN系列では「見えるラジオ」と呼ばれた放送の受信端末が、令和のいま、東京の片隅の電器店に並んでいた。ライバル局のJ-WAVEでは「アラジン」、大阪・FM802では「Watch-me」などと呼ばれていたが、便宜上ここでは「見えるラジオ」と呼ぶことにする。

FM放送を聴きながら、オンエア中の楽曲情報、ニュース、天気、交通情報などを見ることのできる新しいメディア。そして15文字×2行の画面を使ったテキストコンテンツの独自チャンネルなどもあり、連動したラジオ番組も放送された「見えるラジオ」。その概要については、愛好家の方々の記事などを参考にしていただきたい。インターネット全盛時代のちょっと前の、放送波を使った新たな試みだったが、NHK FMは早々に、2006年にはサービスを終了させていた。ちなみに当時、私が持っていたのは、上記の記事にあるSONYの「SRF-DR2V」。1996年7月発売で22,000円とある。いい値段だ。これとCDウォークマンとCDを持って歩いていた。そこそこ重いぞ。

店主は驚き、俺も驚く

令和2年、コロナ禍にある東京の電器店に話は戻る。
「これ、いくらで売ってもらえますか」と尋ねた私に、男性の店主は「え?あ・・・」と、質問には答えられなかった。そして息を整えるかのように「あの、これね、もうこの液晶には、何も表示されないですよ」。

「…よ」のあたりで、私は食い気味に「わかってます、知ってます」と返す。が、それでも店主は「何も出ませんから!表示されませんから!それでもいいですか?」と繰り返す。私はわかっている。もうここに何も表示されないことを。そして15文字×2行のため、スタジオの副調整室の隅の端末で、様々な情報を入力していた方々がいたことを。後に聞けば、このテキスト入力のスキルは、災害時のwebでの情報発信に力を発揮したという。うん、いまが見える、あしたが見える、そんな時代だ。あの歌はここで試聴できる。

ラジオが「聴く、プラス」になった時代。

見えるラジオを前に「見られないですよ!」「わかってます」のやりとりは3回くらいあったと思う。そして店主は「・・・ただのラジオとしてなら使えますけど、いくら出します?」と私に聞いてきた。当時で1万数千円したこの端末、しかし今は主たる機能が使えない端末だ。とはいえ放送の歴史に1ページを残した受信機に、私なりの敬意を込めた金額を支払うことにした。店員は「いいですよ」と即答。まぁ、これを、今買う奴ぁ、どう考えてもいない。対応周波数も、2020年のいま、ちと使いにくい。うん、ワイドFMなど、入る訳も無い

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会計の段になり、店主は「で、お客さん、あの…なんでこれを買おうと?」と私に尋ねてくる。そこで嘘をついても仕方がない。放送の仕事に携わり、放送の歴史を研究していると答えた。すると店主は言う。「出始めた時は、売れたんですよねぇ」

1995年、見えるラジオの1号機はCASIOだった。記憶違いがあったら申し訳ないが、その次あたりに登場したのがこの端末だったと思う。25年前。この時TOKYO FMは「見えるラジオ」の誕生と、開局25周年を大いにアピールした。記念特番はDJ・赤坂泰彦がニューヨークから25時間の生放送を行い、ウルフマン・ジャックとのツインDJを実現させた。

思えば数社が見えるラジオの端末を発売した頃には、よくわからないけど「インターネット」ってやつが世の中に現れたのだ。そして放送局もネット上でのサービスを開始した。もちろん、オンエア曲にニュース、天気予報も見られる。そして早々に90年代にストリーミング配信を始めた番組も現れた。「聴く・プラス」の時代が始まったのだ。平成のラジオの過渡期、ラジオは見え始めたのだ。

お得な情報をあなたに

この端末は単4乾電池3本で駆動する。店主は箱も取り出し、埃を払って、さらに電池をつけて手渡してくれた。が、私はこれを起動させることはないだろう。我が家にはラジオが幾つもある。ただ、記憶として遺すことに決めたのだ。そして、そこには多くの方が関わっていたこともである。

さて、この項の最初の方に記した「お得な情報」だ。
代金を支払い、端末の箱を手に取った私に、店員が告げた言葉を、皆様と共有しておきたい。

「このラジオね、うちの店、もう1台ありますよ」

えー。
ラジオファン各位。もしご入り用でしたら、何らかの形で私にアクセスをとってください。本当に、本当に買って、残すならね。

追記

「見えるラジオ」を実施していた局でも勤務していた、あるラジオマンの方から「買う!」との連絡があり、私は再び件の電器店に行き購入しました。そして番組収録の際に手渡しました。東京は城西エリアの電器店で優に20年は眠っていたラジオは、いま西日本にある某社のデスクに鎮座しているはずです。見えるラジオは、売り切れました。

そして私は2020(令和2)年に「1ヶ月ちょっとの間で『見えるラジオ』を2台買った男」になりました。

<参考資料>
 DJの赤坂泰彦さん NYから町の音拾う(気になるこの人)(1995.05.09 読売新聞 東京夕刊 らうんじ) 
 赤坂泰彦 TOKYO FM「Life-」でNYから25時間の生DJに挑戦(1995.04.26 日刊スポーツ 23頁)
 25時間連続DJに赤坂泰彦が挑戦 あす、TOKYOFM(1995.04.24 読売新聞 東京夕刊)

(2020.05.12)

☆当noteでは、筆者の記憶とある程度の資料をもとに「平成のラジオ」を残していこうと考えています。記憶違いも多々あろうかと思いますが、ご指摘などありましたら本コメント欄や、Twitter @fromcitytocity までいただけたら幸いです。


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