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「ちゃんとやった」と言える自分でいよう

かつて、アナフィラキシーショックになり、意識を失ったことがあります。
 
その時のことを思い出すと、肉体的に苦しいという思いはあまりなくて、なぜか頭の中が白い光でいっぱいになって、心がどんどん静かになって、
「もっと、ちゃんとやっとけば、結果は違ったのかもしれへんな」
(標準語訳 → もっときちんと取り組んでいれば、結果が違ったのかもしれないな)
という言葉がぽーんと思い浮かんだ、その瞬間ばかりが思い出されます。
 
さて、私はアナフィラキシーショックの経験をしてから、死ぬことのイメージが少し変わりました。
あれほど豊かで静かな光に迎え入れられるのなら、何も怖いことはありません。
気軽に「皆さんも体験してください」とは言えないのが、ものすごくもどかしいのですが……。
 
そして、あの光の中にもっていく言葉が
「もっと、ちゃんとやっとけば、結果は違ったのかもしれへんな」
だとしたら、なんだか情けない気がします。
 
「ちゃんとやった」と言える毎日を、私は送ることができているか?
今日の私のことを、自分は好きになれるだろうか?
一点の曇りもなく、あの静かな光に溶け込んでいけるだろうか?

 
仕事をしながら、遊びながら、料理を作りながら、そんなことを考えるようになりました。
 
先日、私の本を読んでくれた人から、「絶対の慈悲」という言葉を教えていただきました。
私の家は神道系の宗教なので、恥ずかしながらその言葉を知らなかったのですが、
「あなたの本には、仏教でいう絶対の慈悲というものがあふれていますね」
と、その方はおっしゃいました。
 
絶対の慈悲、絶対的慈悲という言葉について知ろうとするうちに、なぜか私が出会った静かな光のことを、思い出したのです。


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