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丸池の面積を求める

割としょうもないメモ的な話。

すゑひろがりずさんの漫才に「算数の文章問題」というものがあります。この漫才に登場する第1問目は果たして解けるのかどうか。いや、ネタにマジレスすなよと言われたらそれまでですけどね。

公式アップだとこれだけかな。AbemaTV出演時のもの。10:00くらいから始まるはず。

……本当は問題文(に当たる箇所)をテキストに起こすべきなんでしょうが、漫才のネタをテキスト起こしすることにちょっと躊躇するところがありますので、興味ある人は各自でやってください。
(もっとも、このときは緊張していたようでして、ちょいちょいミスが見られます…。現在は1問目の問題そのものは変わっていないもののブラッシュアップされてます。例えば先日の笑点出演時とか)

計算は可能なのか?

結論から言うと、円周率とか関係なく丸池の面積は計算不能なんだそうな。

ちなみに、点乙と卍の距離は計算できるらしい。丸池の面積だけが計算できないとのこと。

円の面積を求めるには「半径」か「直径」か「円周の長さ」のいずれかがわからないとどうにもならないのですが、ここの数字がわからないから解けないと。そういやそうでしたね…。

で、円周の長さは灯籠の数(総数)がわかれば計算可能なので(注:灯籠の間隔は問答内で明言されています)

丸池の面積 =(灯籠の数×灯籠の間隔)^2 ÷4π

で出るはずです。円周率使ってますけど。

逆に円周率を使わず求める場合(近似値になりますが)、丸池の直径(対岸までの距離)と灯籠の数が必要となり、

丸池の面積 ≒ (直径×灯籠の間隔÷4)×灯籠の数
(丸池の面積 ≒ (半径×灯籠の間隔÷2)×灯籠の数)

となります。
(半径×灯籠の間隔÷2で三角形を作ってます。丸池を等分していくつの三角形が作れるかっていう計算をすれば円周率は不問となるけどあくまで近似値)

うんまあ、灯籠が全部でいくつあるかわからんとどうにもならんのですよ、この問題。

円周率の概念が発見されていない時代とは

で、ここまでは割とどうでもいい話なんですよ。問題は「円周率の概念はまだ発見されていないものとする」という問題文。

これは一体いつの時代の設定なのかという話。ようやく本題だ。

円周率そのものは紀元前の古代エジプトの頃から考えがありまして、ざっくり紀元前2000年頃にはあったらしいです。小数点以下2桁辺りから人によってばらつきは見られますが、大体合ってるという世界。少なくともゆとり教育期における「円周率=3」よりはちゃんと計算されてる感じがします。

ヨーロッパだと紀元前5世紀頃、中国でも2世紀頃の書物あたりから円周率の概念は導入されております。

じゃあ、日本はどうだったのか。

円周率の概念そのものは、一応遣隋使の時代には輸入されていたのです。ただし、使われることはほぼなかったそうな。日本において円周率という概念が用いられるようになったのは1600年以降の和算研究が始まってから。もっとも、和算と呼ばれるものも一般庶民が扱う代物でもなく、学者…というかある種の数寄者が知る概念のようでしたが。

1600年といえば、関ヶ原の戦いの年ですね!

天保8年結成(設定)のすゑひろがりずですと、一応知っててもおかしくはない、の、かも。

追記

この記事、随分前にアップしたものの、タグつけずに放置してたら、このタイミングですゑひろがりず局番にこの漫才がアップされていたので日付を最新にした上で局番の方をリンクしておきます。


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