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辛い現実ってあるよね。

私がやりたかったことを今やらせてもらっているはずなのに、最近とても苦しく、悲しくなることが多くなった。

何故だろう…

ACPという名前が一応ついているけど、結局のところ患者さんのライフストーリーを聞かせてもらっているだけ。

ただ、それはとても尊いことだと常々思っている。

でも回数を重ねれば重ねるほど、人生の物語を知れば知るほど苦しくなることが増えた。

約1時間私は目の前いるに患者さんが今までどんなふうに生きてきたのか話を聞きながら想像をする。

そして大切にしている価値観を読み取っていって、一緒にこれからの人生を考えていくことを大切にしてきた。

でも医療の最前線で、命を目の前にして、ゆっくりそんなことに思いを馳せる時間も気持ちにも余裕はなく、今まで話してきた内容の全てが疑心暗鬼になってしまっている。

本当に今患者はそう思っているのか、誤解に基づいた意思決定、考えになっていないのか…というふうに。

そう言われれば言われるほど苦しくなる。私が患者と向き合った1時間という時間で得た情報は何なのだろう…短い時間ながら形成された患者さんとの関係性は…
目の前で横たわる患者さんは私を見てもしかしたら私に話したはずなのに、こんなこと望まないって言ったのにって思っているのではないかって、思っていないだろうか…


こんな若造に自分の人生の一部を話してくれた患者にとても失礼なのではないかっと。

その1時間で話した内容はカルテに記載するが全てを記載しきれてはいない。全てを記載しても多忙な医療者は長すぎて読まない。だから大切なことだけを出来るだけ患者の語り口調で記載するようにしているが、その表情や間、雰囲気などは伝わらない。患者さんがどれだけ真剣に話していただって伝わらない。

だからといって命に関わる選択をする際に、いち看護師で患者とは家族でもないやつの言うことをすべてそのまま患者の意思だとするわけにはいかないのも十分分かっている。

医療は他職種で成り立っているし、とてもいい連携が取れてこそとても高度な医療が提供できると私は信じているし信じたい。
そこに患者家族も含めて互いを疑ってもいいと思うし、疑うことで新たな発見があることも多いから。でもお互いにお互いの立場や仕事内容を尊重し合う姿勢が1番必要だし大切なのではないかっと思う。
相手が傷つくと分かっていても言わなければいけない内容もある。でもお互いに尊重し合う関係性が常々形成されていれば、自分のことを思って言ってくれたんだなって思えるのではないだろうか…

私がまだ未熟なだけなのかな…?

人間関係ってやっぱり難しい。
でもその関係性の中で私は沢山の笑顔をもらっている。
だから、私は前を向き続けようって思う。


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