#言葉に出来るか
母親を尊敬できていない話。
マザコンであるという話。
このノートで書いたことのもうちょっと直接的なことをば。
たぶん、私は母親に対して強い理想像と、そんな人に思うように接して欲しかったみたいな願望がある。
理想像は、子どもの意識をきちんと尊重して接していけるような人。である。私の実の母親が、子どもの思いを尊重しなかったかというと、多分そんなことはない。ただ、なんか、もっと「私の思い」を聞いて欲しかった。というような気持が
言葉に関するざつなメモ
言葉に関すること。
「辞書作るような仕事しそうなのに」という評価を受けたり、ある人の発言において、その人の意図よりも「言葉」に気を取られたりするような要素が多くあった。
なんかそのあたりのことから、きちんと考えないといけないんだろうなぁと思っていて出てきたこと。
なんとなく、「現実と言葉の整合性をとりたい」と思った。
この際の現実というのは、物として存在している現実のみならず、「感じたことを正確
好きなキャラから省みて
おかざき真里『阿・吽』の8巻の表紙案のツイートを見て、橘逸勢かっこいいなぁと思った。そこから思ったことをいくらか。
(微量のネタバレありです。)
ツイートに添付されていた絵自体は「カッコよさが際立つ」ようなものではないと思う。どちらかというとキレイとか美しいに近い印象を得る。その意味で、私は橘逸勢の絵単体をカッコよいと思ったのではなく、そのキャラ性にカッコよさを見い出したのだと思う。
(7巻ま
判断する/できるようになること。
課題感
何かを決めるということに関して、何かの「長」や最高学年などになると自然と行う。しかし、上に人がいると判断をためらうようになっているように思う。
実際、現在様々な判断は上に確認を取ることが多い。もちろん、知識や経験がないから当たり前である。しかし、判断すること自体は幾度となく最高学年になるたびに行ってきたはずである。
知識がないこと以外に判断をためらうことにつながる要素が何かあるように思わ
人の流れをさえぎるか。
人を巻き込むことが苦手である。もうちょっと正確に言うと、(すでに存在している)ある流れを途中で中断して、自分の流れを放り込むことが苦手である。
ただし、実際に流れを中断しないようにできているのかというと、そんなことはない。流れを中断してしまっていることは多々ある。
苦手意識はあるものの、時にはしてしまっている。この「したくない」時と「してしまっている」時のずれはどこから生じるのだろうか。
直観