「あの公園のベンチには、なぜ仕切りがあるのか?」 森達也編著 論創社

サブタイトルは「知らぬ間に忍び寄る排除と差別の構造」

私が「排除アート」という言葉を知ったのは、丸山正樹の小説「ワンダフル・ライフ」に出てきた時だ。
この小説は事故で重度の障害を負った妻を介護する夫の心情を綴った作品なのだが、そこに「排除アート」が出てきた。
それまで私は公園のベンチにある手すりは、足腰が弱った高齢者が立ち座りに楽なように設計された「気のきいた」ものだと思っていた。
ところがそれには別の意図があったと知ってビックリした。

この本はその別の意図「排除」をテーマに編者を含む11人の著者がそれぞれの視点から語っている。
その視点は多岐に渡っていて、アート、生活困窮者支援の現場、シングルマザーへの住宅施策、教育現場、東京オリンピック、外国人、障がい者などが、一冊の本にまとめられている。
これほどあちこちに「排除」があったのかと、寒々しい心境になる。
公園のベンチを切り口に、現在の日本で起きている様々な「排除」差別や偏見をテーマにした本だった。

私の住む街の最寄り駅は、駅前にちょっとした木が植えてあって、その周囲を人が腰掛けるのにちょうどいい高さの石の仕切りがある。
そこは高齢者の憩いの場的な空間ではあったが、日中から飲酒喫煙するシニア層の男性が長時間たむろしたりして、市民の評判は悪かった。
「人が座れないようにするべきだ」という声も多かったと聞く。
やがてコロナでそこが座れないよう封鎖され、その措置を歓迎する市民もいた。街の景観が良くなったと・・・
昨年、コロナの感染法上の扱いが変わって、封鎖が解除され、人が座れるように戻った。
以来、以前のような「なんだかなぁ」って思うオッサンたちが時折いたりするが、それよりもちょっと一休みしてます的な高齢者が多くみられるようになった。街にベンチが少なすぎるのだ。
駅前はスーパーやドラッグストアがあり、小さな商店も充実しているし、クリニックや金融機関もある。
買い物や用足しに出た高齢者が、疲れた時に休める場所(ベンチ)がないので、植木まわりの石の仕切りに腰掛ける。ベンチがあれば、植栽を区切る冷たい石の上に座らなくても済むのに・・・休みたければ、お金を払ってカフェとかに入れってことなのか。
公共空間のベンチの数は、その自治体の市民に対する優しさの度合いを測る目安になるかもと思った。

矢口英佑のナナメ読み #080 『あの公園のベンチには、なぜ仕切りがあるのか?』 | 論創社 (ronso.co.jp)

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