映画 「いのちの停車場」

ネットフリックスで視聴(ネタバレあり)
主人公は救急救命医のシニア女性。吉永小百合が演じている。
救急医療の場で起きたことの責任を取って退職し、故郷(金沢)の小さな診療所の医師として働くことになる。
その診療所は訪問診療もやっていて、主人公(咲和子)は、救命医療の現場から在宅診療への転身で、戸惑いながら患者と向き合っていく。
見始めて、最初に感じたのは、
「もうすこし、きちんと往診と訪問診療と訪問看護の違いを観客に理解してもらえるような説明かシーンが必要だったのでは?」
だった。
介護の経験があれば、往診と訪問診療と訪問看護の違いが判っているかもしれない。
が、介護経験がなくて医療従事者でもない人が見たら、「在宅医療」における医療は「往診してくれる親切なお医者さんの話」みたいな誤解を生じさせる映画になってしまうのでは?と思った。
在宅看取りに必要な訪問診療と訪問看護の説明力が弱くて、それがこの映画のテーマをぼんやりしたものにさせてしまったと思う。
が、それはほんのささいな違和感で、大きな違和感は主人公とその父の配役。
主人公(吉永小百合)と、その父(田中泯)って、そんなに年齢差あったっけ?と思って、ググって調べてしまった。
そしたら、吉永小百合と田中泯は同じ年齢だった。
それが父と娘の役をやっているのだ。えっと、これは私の父の役をジョージ・クルーニーがやる感じ?みたいな(私とジョージ・クルーニーは同じ年です)。でも私は吉永小百合のように若々しくも美しくもないので、この例えには無理がありますね。
とはいえ、この配役は無理があるのだが、それはそれで田中泯は老いて病んでいく老人をうまく演じていて、さすがだなぁと思った。
この映画では、
末期のがん患者で一切のがん治療を拒否する芸者
事故で四肢が麻痺してしまったIT企業の社長
脳血管障害で寝たきりの高齢女性を、ゴミ屋敷と化した家で外部のサポートを拒否して介護する夫
がんが再発して再びがん治療を受けるか悩む女流囲碁棋士
末期のがんになり故郷で在宅看取りを希望する元キャリア官僚
長く過酷ながん治療を受け続けている小児がん患者
転倒骨折後、脳血管障害で身体の麻痺と痛みに苦しみ安楽死を求める主人公の父
のエピソードが紹介されている。
正直、これだけの患者のケースとその家族のエピソードを2時間弱の映画の中に詰め込み過ぎな感じがした。
そもそも、在宅医療や在宅看取りには、居宅介護支援事業所(ケアマネージャーとか訪問介護)との密接な連携が必要なはずなのに、ここにはまったく介護側が登場しない。
主人公と、主人公が働く診療所を営む医師と、そこで働く看護師が、いくらそこが気の置けない店とはいえ、飲食店で患者の状態や診療方針を話し合うってどうなんだろう?と思ってしまったし、
医学浪人(医師国家試験に落ち続けている)の青年が、医師でも看護師でも介護士でもないのに、訪問診療や訪問看護に付き添って患者のケアの手伝いをするのはいいのか?とか、
担当者会議(医療・看護・介護・ケアマネが一同に会してケアプラン・診療プランなどを話し合う)はまったく描かずに在宅医療とか在宅看取りをテーマにするのはどうなんだろう?とか、
ツッコミどころが多すぎて逆に見入ってしまう映画だった。
看取りとか安楽死とか、どう生きて、どう死んでいくかを考える映画というテーマ性はとても大切だと思うのだけど・・・
映画「いのちの停車場」公式サイト (teisha-ba.jp)

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