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メリー・メリー・ゴーラウンド

 その女性は、知っている相手だった。
 いや、知人だったと言うわけではない。ただこちらが一方的に見知っていただけのことだ。ここ半年ばかり、何度も見かけた相手。二十代前半といったところか。今時珍しい黒いストレートのロングヘアー。服装は毎回違っていた。キレイ目のワンピースだったこともあり、Tシャツにジーンズだったこともある。今日は白いカットソーと濃いグレーのロングスカート。いずれにせよ、「ちょっと見たことがある」という域はとうに超えていた。
 遊園地の中にあるこのカフェの雇われ店長として働き始めて数年。平日の午前中に訪れる客などごく限られたものだ。そんな中、彼女のように何度も見掛ける相手がいたら、いやでも覚えてしまう。たとえ窓越しにであっても、だ。
 幾度も目にするうちに、私はある種の親しみのようなものすら感じはじめていたのかもしれない。だから、初めて店の中まで入ってきた彼女のもとへ、注文されたアイスティーを持って行ったとき、急に、こんな言葉が口をついて出たのだ。
「よくいらっしゃってますよね」
 女性は目を丸くしてこちらを見上げ、私はしまったと思った。何度も見ていたのはこちらからだけで、彼女にとって私は、初めて訪れた店の店員にすぎないのだ。
 私は慌てて言い足した。
「いえ、あの……ここから、よく見えるんです、メリーゴーラウンド。平日の朝ってお客さんも少ないし……ぼーっと外を見てると、時々あなたが乗るのが見えて」
「ああ」
 彼女はふっと笑みを漏らした。苦笑とも、安堵とも取れるその表情。
 思わず自分の口をついて出た言葉に、こっちが赤面する。
「すみません、いきなりこんな話。気持ち悪いですよね」
 初対面の相手にいきなりずっと見ていたなどと言われていい気持ちがするわけがないのではないか。
 だがその人は穏やかに微笑んだまま首を振った。
「いいんですよ。珍しいでしょうし、気になりますよね」
「いえ、そんなこと……」
 なんと返していいか分からず口籠る。確かに、開園するやいなや一人で遊園地に来て、しかもメリーゴーラウンドに乗る成人女性など、そうそういない。だからこそ記憶に残っていたのも確かだ。
「探してるんです」
 急に彼女が言った。何のことか分からず、私は思わず聞き返していた。
「え?」
「半年前、この遊園地に、彼と来たんですよ」
「彼、というと」
「恋人です。二年付き合って、いずれは結婚も考えていた相手でした」
「そうですか」
 突然語り始めた彼女に戸惑いながら曖昧な相槌を打つ。話を向けたのは自分だとも言えるし、他に客もいない。立ち去るわけにもいくまい。
「そして、なぜだかその日に限って、メリーゴーラウンドに乗ろうってことになって。珍しいですよね、大人だけで」
「いえ、そんなことは。時々いらっしゃいますよ、若いカップルとか、女性の集団とか」
 あたしが答え、女性も頷く。
「そうですか、そうかもしれませんね。でも、私はしばらく、乗ろうと思ったこともなくて。本当に久しぶりだったんです」
「まあ、そう言う方も、多いでしょうね」
「ですよね。でも、乗ってみたら、思ったよりずっと楽しくて。レトロな音楽も、外からは安っぽく見えてたキラキラも、輪の外を流れていく遊園地の風景も。なんだか魔法みたいでした。ぐるぐる回って、上下する動きも、心を酔わせてくれました。あたしと彼ははしゃいで笑い、お互いに手を伸ばし、そして」
「……」
 私は息を呑んだ。まさか、事故だろうか。
 だが、彼女の口から出たのは、さらに意外な言葉だった。
「私は、彼を見失ったんです」
「えっ?」
「わけわかんないですよね。正確には、もちろん、メリーゴーラウンドを降りた時も、彼はそこにいました。でも、あの日を境に、彼は、彼じゃなくなってしまたんです」
「あの、それは……」
「言った通りの意味です。彼は、私を見ても笑わなくなりました。悲しそうにため息をついたり、あるいはイライラとして顔を背けたり。連絡だって数が減り、そっけなくなりました。今でも彼はは恋人です。でも、以前のような、優しさも、ぬくもりも、感じることはできないんです」
「そうですか……」
 私はいったい何を聞かされているんだろう。半ば自業自得とはいえ、どうにも対応に困る。そろそろ客が来ないものか、そう思って扉に視線を走らせるが、ぴくりとも動かない。
「何が悪かったんだろう、そう思いました。何も思い当たることがなかった。あれまではあんなに楽しく過ごしていたのに。でもある日、見たんです。夕陽の中、白い木馬か聳え立つのを」
「えっ」
「みたと思った次の瞬間、それは消えてしまいました。だけどきっとそれは天啓だったんです。あたしにはわかりました。あの日乗ったメリーゴーラウンドには、本当に魔法があったんだって。私はあの不思議な回転の中で、別の世界線にこぼれ落ちてしまったんだって。あの一瞬の幻は、それを告げに、あたしの前に現れたんだって」
「え……」
「だから、私、暇を見つけてはここにくるんです。またメリーゴーラウンドに乗って、元の世界線へ戻るために。何度か、変化はありました。彼の職業関わっていたり、性格が穏やかだったり。彼と私の間に何の接点もない世界線へも行ったことがあります。でも、きっともう少しだと思うんです。そんな予感がするんです。ひょっとしたら、今日、たどり着いたこここそが……」
「あの……」
 思わず呟く。女性はため息をついた。
「いいんです。わかってもらえるとは思ってません。ただ、あなたが……私が時々あれに乗っているのをみていたっていうから……ちょっと、話しておきたくなただけなんです」
 女性はアイスティーを半分くらい残したまま、呆然とする私を残して立ち去って行った。

 あれ以来、彼女を目にすることはなかった。私におかしなことを話してしまったことでバツが悪くなったのか、あるいは正気に戻って彼との倦怠期を受け入れたのか、あるいはついに破局を迎え、全てに諦めがつきでもしたのか。当然、その結末も、わからないままだ。
 だが、ときどきふっと、思ってしまうのだ。もし彼女のいっていたことが、全て本当のことだったとしたら。彼女は実際にメリーゴーラウンドに乗って、世界から世界を旅してきたのだとしたら。そしてこここそが、彼女の、元いた世界で、彼女が無事、元通りの優しい彼に出会うことができたのだとしたら。
 そんなバカな。私は首を振り、自分のために入れたアイスティーに口をつける。
 グラスの向こうに、メリーゴーラウンドが歪んで見えた。

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