心残り

「おい、高井。高井!」
 呼ばれて、俺は我にかえった。
 いかんいかん、いくら最近よく眠れていないとはいえ、こんな態度はないだろう。
「ああ、すまん」
「大丈夫か? まあ、無理もないが」
「……うん」」
 俺は思い出す。公園で撮った妻や幼い子供の写真。その背後に、結城美奈を……高校の頃付き合っていた、当時の恋人が写っているのを見つけたのが全ての始まりだった。
 偶然? いや違う。なぜなら美奈は、高校を卒業してすぐ、事故で命を落としたからだ。
 その美奈が、なぜ、今になって俺の前に姿を表したのか。
 同じく高校時代のクラスメートである水野が、オカルトやスピリチュアル関係のライターをしていたのを思い出し、連絡をとったのが一週間ほど前。いろいろ調べてくれた、その結果が今日聞けるらしい。
「で、どうなんだ。何かわかったのか?」
「ああ。結論から言うと、なんの心配もいらない」
「なんの心配も……? 悪い霊じゃなかったってことか」
「違う違う。結城さんは、とっくに成仏してるよ、たぶん」
「じゃああの写真は……」
「まあ、これを見てくれ」
 水野はそう言って自分のスマホをこちらに差し出した。
 一目見て驚愕した。そこに写っている横顔は、紛れもなく結城美奈ではないか。
「美奈!」
「結城さんじゃないよ。いや、少なくともお前の元恋人じゃない」
「どういうことだ?」
「お前が撮ったあの家族写真さ、前田森林公園だろ。高校のそばにあった」
「あ、ああ」
「で、結城さんって確か徒歩通学だったよな。珍しかったから覚えてるんだけどさ」
「ああ、そうだよ」
 自転車通学だった俺は、当時よく彼女を家の前まで送って行ったものだった。
「それを思い出してさ、行ってみたんだよ、当時の住所調べて、結城さんが住んでた家にさ。そしたら、この写真の子がいた」
「えっ?」
「もちろん本人じゃないよ。ただ、まあ、〝結城さん〟っていえばいえる。っていうのも、今あの家に住んでいるのは、彼女……お前の元恋人の、お兄さん一家らしくてさ。その娘、つまり彼女の姪に当たるのが、この子」
「……姪」
 俺は呆然と呟く。
 そういえばそうだった、美奈には年の離れた兄がいた。
「たぶん、いや、間違いなく、この子が偶然お前の写真に映り込んだんだと思うよ。言われてみりゃ、ちょっと幼いと思わないか。まだ中学生らしいぜ」
 俺は水野のスマホに表示された写真をしげしげと眺める。そういえば高校生というにはあどけないような気もする。だが正直なところ、それが今水野に中学生と聞いたからなのか、本当に幼い顔立ちなのか、俺には判断できなかった。
 そもそも、一度他人だと聞いてしまうと……俺の目には、その写真の主が、もはや「美奈に似ている別人」にしか見えなくなってしまっていた。
「まあ、人は見たいものを見る、っていうからな」
 水野が俺の内心を見透かしたようなことを言う。
「だいたい、普通は気がつかないもんだぜ、被写体の後ろに写ってる通行人が誰か、なんてことにはさ。気になったとすれば、お前の方に、何か心残りなり、引っかかりなりがあるってことなんじゃないか」
「そう……なのかな」
 妻のことは愛している。その想いに一点の曇りもない。だが、何か残っているとすれば、それは。
「実は、カミさんに話してないんだよね。昔、恋人を事故で亡くしたってこと」
 俺は言った。
「知る必要もないし、そんなこと聞くのも、いやかな、と思って。それで、毎年行ってた墓参りも、途絶えちゃって」
「まあ、言う言わないはともかく、引っかかってるなら、墓くらい行ってみたらどうだ? 最後の一回って、けじめつけるだけのためでもさ」
「そう、だな……ありがとう」
「いやいや。久しぶりに話せて楽しかったよ」
 そのとき、後ろから声がした。
「ごめんごめん、待った?」
 息子を抱いた妻の姿がそこにあった。そうだ、思い出した、近くの病院で息子の検診をしている間、俺はこの店で待っていたのだった。
「いや、水野と話してたから、大丈夫」
「水野?」
 妻は眉を顰める。
「ああ、初めてだっけ、紹介するよ、こいつ、俺の高校の同級の……」
「誰のこと?」
 怪訝そうな妻の様子に、俺は向き直って愕然とする。さっきまで水野がいたはずのそこには、誰も……テーブルの上にも、一人分の飲み物しかない。
 記憶が蘇ってきた。
 確かに俺は、あの写真のことを相談しようと、水野に連絡を取ろうとした。
 だが、その時俺は知ったのだ。水野自身が、二年ほど前に、病気で命を絶たれていたことを。
 じゃあ……今まで俺が話していたのは……
「大丈夫?」
 そう声をかけてくれる妻を、俺は縋るような気持ちで見上げた。

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