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私たちは毒に囲まれている

 赤見裕佳警部はタバコに火をつけた。
 古いアパートの外。たった今あとにしてきた変死体の様子を思い浮かべる。
 仰向けの姿勢。だがその様子は自然とは言い難い。上半身こそ、苦悶に歪む表情以外はなんの特徴もないが、問題は足だ。膝を軽く曲げ外側に向けたいわゆるガニ股の状態から、さらに限界を超えて股関節が広がり、膝はほとんど後ろを向きかけている。何者かの力が加わったとしか思えないが、どんな相手がどうやってこのような格好をさせたというのか。
 しかも、検死官が言うには、外から力が加わった痕はないという。あざも凹みもなく、まるで……自らの力で、この状態になったとしか思えない、と。
 バカな。
 赤見警部は勢いよく煙を吐き出す。
 自らの身体を損壊するように筋肉を動かすなど、考えられない。
 咳き込む声が聞こえ、赤見はハッとする。
見ると部下の伊沢恭弥が口元をハンカチで覆っている。タバコの煙が苦手らしい。
「すまん」
 つぶやいて携帯灰皿でタバコをもみ消す。
「中にいればよかったのに」
「いえ、お知らせしたいことが。デスクに一枚メモ用紙があってですね」
「なんだ、遺書でも?」
「……といっていいかどうか。ただ、気になる内容だったので」
「もったいぶるな」
「はい。『私たちは毒に囲まれている』と」

 捜査は難航した。検死の結果、明らかに臀部等の筋肉が過剰に働いた形跡があり、それは彼が自らの力であのような状態になったという仮説を裏付けるように思われた。だがそんなことがありうるのか。未知の病気だろうか。
 無論、あのメモを踏まえ、毒物についても調べられた。結果は不検出。とはいえ、未知の毒物の可能性は残る。
 死体の身元はすぐに判明した。
 三十八歳、独身、スーパーマーケットの店長。
 恨みを買っていた様子はない。というより全体に人間関係が薄い。両親はどちらも数年前に他界している。兄弟はおらず、親戚ともほとんど連絡をとっていなかったようだ。葬儀もスーパーマーケットの本社が引き受ける形になった。
 プライベートでの友人や恋人なども、浮かび上がってはこなかった。家と職場を往復するだけの、単調な生活を送っていたらしい。
 ただひとつ、スマホにインストールされていたあるアプリの存在が気になった。
 音声配信アプリである。
 スマホさえあれば誰でもラジオのような音声コンテンツを制作、配信できるアプリ。被害者(?)は、このアプリを頻繁に使っていた。自ら番組を配信しており、それなりの人気もあったらしい。いく人かのリスナーとは、他のSNSなどでも繋がりを持っていた。
 何か有力な手がかりが得られるのではないかと期待したが、それもすぐ失望に変わった。リスナーと直接会ったことも、物品をやりとりしたこともないとわかったからだ。
 手詰まりだ、そう思えた。
 自らアプリをインストールして、関連のアカウント周辺を一回りしてもみたが、成果はゼロ。トラブルがあった様子もない。
「さて、どうしたものか」
 しばらくぶりに帰った家で惰性でアプリを開き、赤見は呟いた。
 と、その時。一つのライブ配信が目に止まった。
「毒」
 アカウント名も配信タイトルもその一言。
 サムネイル画像もアイコンも黒一色。
 あのメモのことが思い出される。赤見は半ば無意識に、そのサムネイルをタップした。

「あれっ」
 気がつくと赤見は、音の出ていないスマホを握ったままぼうっとしていた。画面には、配信が終了したという表示が出ている。
 一体どんな配信だったのか。
 全く、記憶がない。サムネイルをタップしてから今気がつくまでの記憶が綺麗さっぱり失われている。
「疲れてるのかな」
 赤見は目頭を軽く揉んだ。

 その後、赤見は何度も、ふいに自分がじっとスマホを握っているのに気がつく、という体験をした。アプリを開いた記憶すらない。だが気がついた時、画面には決まって、あの「毒」という配信が終わったという表示が出ていた。
 いったい自分はどうしてしまったのか。誰にも相談できないまま、数日が過ぎた。
 そんなある日のことだ。奇妙な「情報提供者」が現れたのは。
 部屋には赤見よりわずかに年下と思われる一人の女性が座っていた。ジーンズとヘヴィメタルバンドのロゴの入ったTシャツの上に、白衣を羽織っている。座っているのではっきりわからないが、身長は低くはなさそうだ。髪は無造作なショート。
 事前に受け取った名刺には地元大学のなんとかいう研究室の准教授と書かれていた。しかし研究者だからといって、なぜ学外で白衣を着ているのか。
「ええと……枝葉さん? なにか、話したいことがある、とか」
「そうなんです!」
 やたらと勢いよく言われ、赤見は仰け反りかけた。
「じつはですね! うちのものが、とある音声配信アプリをやってまして! で、そこで付き合いのあった人から、とあるユーザーさんが亡くなったらしいと聞いた、と」
「ああ、それで」
 ほとんど報道されていないこの件で情報提供者が来るのは奇妙に思えたが、そういうルートか。
「はい! で、何か妙な死に方をしたらしい、ということで……実はうちの研究室、こちらにもちょっと繋がりがあるので、情報収集、させていただきました」
 赤見は顔を顰める。情報が漏れてる? どこからだ?
「それでこれはどうやらうちの領域かなと思って、調べてみたんです」
「うちの、というのは……」
 赤見は名刺にあった聞きなれない名称を思い出す。
「形而上生物学?」
「そうです!それでですね」

「あれっ?」
 赤見ははっとした。目の前にいるのは枝葉准教授。何やら満足げにこちらを見つめている。何か話しかけだったはずだが、続きはどうなった?
 いや……もしかして、また?
 右手に目をやる。そこにはやはり、スマホが握られていた。
「あぶないところでした」
 枝葉が言った。
「私がいてよかった」
「え、いったいなんの?」
「刑事さん、被害者が使っていた音声アプリ、自分でもやってみてたんじゃないですか」
「それは……そうですが、一体」
「変な配信聞いたでしょう。毒、っていうタイトルの」
「なぜ」
「それが、今回の件の元凶です。今日はアカウント停止とか情報開示とか、その辺の処置をお願いしたいと思ってきたんです」
「待って……待ってください、いったいどういうことなんですか」
「ああ……これは、ちょっと荒唐無稽な話に聞こえるかもしれないんですが」
 枝葉は話し出した。
「人間の脳というのは、一種のコンピューターと言えます。さまざまな外的刺激から情報を受け取り、処理をして、行動や言葉として外の世界に計算結果を送り出すわけですね」
 唐突な話に戸惑いながらも赤見は頷く。比喩としては理解はできる。
「そして、人間の脳にも……バグが起きたり、またはそれを意図的に起こさせたりすることができるんです。わかりやすいのは洗脳とか催眠、ある種の精神疾患などですね。まあ疾患については、おそらく脳というハードの不調による部分も大きいと思われますが……一方には、完全なソフトウェア上の不具合、動作不良、本来あり得ない挙動、そんなものもあるわけです」
 あり得ない挙動……まさか。
「ではそんなバグを意図的に起こさせる……行ってみれば人間の脳にコンピューターウィルスを仕込むには、どうすればいいか。医学的な処置も可能でしょうが、より手軽には、感覚器官を通すのが早い。目や耳、舌、鼻、そして皮膚。それらからの刺激によって、脳にウィルスを送り込むわけです」
「じゃあ……」
「そうです」
 枝葉は頷いた。
「あの「毒」という配信で流されている音声は、脳にある種のウィルスをロードするものです。一回でも聞くと、その後も定期的にあの配信を聞くようになる。やがて、脳内で十分に成長したウィルスは、神経系を通して、身体に通常ではあり得ない運動をさせる」
「そんなことが……」
「あるんです。現にあなたは今、まさにそうなるところでした。急遽、私が……声を使って、ワクチン的なソフトウェアを上書きしたので、事なきをえましたが」
「私が?」
 そう言えば、臀部の筋肉に奇妙な疲労があり、股関節が少々痛むが……
「まあとにかく、あのアカウントの停止と情報開示を。必要なら資料は提供します。今のところあまり聞かれていないみたいですが、一刻も早く止めないと次の被害者が出るので……」
 赤見はまだ信じきれなかった。

 枝葉の言っていたことは次々裏付けられていった。世の中にはそのような分野を研究しているものが赤見の思う以上に大勢いて、多方面から枝葉の言葉を肯定してくれた。
 配信者「毒」は行方をくらました。現在、重要参考人として行方を追っているところである。
 赤見は思う。
 脳のバグ、と枝葉は言った。それは感覚刺激を通してもたらされる、とも。
 ならば……もしかしたら、誰かの意図によらずとも、日々感覚器官を通してもたらされている情報の蓄積が、偶然致命的な作用を持つバグとなることも、ないとは言えないのではないか。
 我々を取り囲む世界は、あの「毒」という配信と同じ効果を持つもので溢れているのではないか。
 あのメモ書きは、そういう意味ではなかったか。
 タバコに火をつけ、赤見は体の中の毒を吐き出そうとでもするように、勢いよく煙を吹き出した。


あとがき

こちらの作品は同人誌で販売している『放課後の調律師』シリーズ(未完。近々完結……できるか?)のスピンオフ作品となっております。別サイトになりますが、第一話のみ以下のリンク先で読むことができます。よろしければ、どうぞ。


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