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物書きと名乗りたい私の、プライド

こんにちは。高校5年生です。

先日、職場の人に高校5年生のTwitterアカウントを知られていたことが発覚しました。過去形なのは、私がまだその人を認識する前にTwitterを見られていたからです。「実はね……」と教えてもらって知りました。言いづらいですし、黙っておくこともできるのに正直に言ってもらえたことは、本当に嬉しかったです。

知られていたと知って、今更ながらnoteに書く内容を改めようかと考えました。Twitter連携しているので、noteも読まれている可能性が高いからです。リアルの知り合いが1人も見ていないという前提で、普段の私なら絶対に言わない本音を全てさらけ出していたのですから、知られているとなれば話は変わってきます。

浮かんだ案は3つです。
1つ目はここで更新をやめ、高校5年生のnoteをとじることです。リアルの知り合いが1人も見ていないという前提が崩れた以上、安心して本音を書ける場ではなくなってしまいました。知られる糸口を作ったのは私なので、潔くこのタイミングで幕を引く選択肢はあるでしょう。

2つ目は高校5年生のnoteと別に、今度こそ絶対にリアルの知り合いには言わないでおくブログを開設することです。高校5年生のnoteにはリアルの知り合いに見られても問題のない記事を書くので、続けることができます。ただ、新しく作ったブログがまたリアルの知り合いに見つかったら、さらに新しいブログに移らなければならなくなり、際限がなくなってしまいます。

最後に3つ目は、このまま高校5年生のnoteを同じスタンスで続けることです。リアルの知り合いに見られようが私は私、これが私の本音だと胸を張るのです。言葉の響きはかっこいいですが、それなりの勇気と覚悟が要ります。普段人前で自分らしさを見せることが苦手だからnoteで自分を見せているのに、それを人前にさらけ出してしまうのですから。noteではむしろかっこ悪い私しか見せておりません。リアルの知り合いが読んだら引くくらい、ギャップがあります。最近仲良くなった程度の人であれば、私の元から逃げていってしまうかもしれません。

けれども私はこの3つの選択肢の中で、3番目に強く惹かれております。noteをわざわざ開いて読むくらいですから、その人はきっと私に興味があります。地味で取り立てて目立った特徴もない私に関心を寄せてくれているわけです。そんな人になら、私が本当はどんな人間なのか知ってもらいたい気持ちが湧いております。もしかするとドン引きするかもしれません。あまりのギャップに嫌悪感を抱き、リアルでの接し方が変わってしまうかもしれません。けれども誰か1人でもnoteを読んで、「へえ、こんなこと考えているんだ」「見た目通りの変わり者ね」「いい子ぶっているけど意外と冷たいところあるのね」と面白がり、本音の私も好きになってくれたら、これ以上幸せなことはありません。私はそういう人に1人でも多く出会いたいのです。

結論を言うと、noteに書く内容は改めません。高校5年生アカウント1本で、これからも更新を続けます。今更改めても、過去の記事を読んだら私がどんな人間か分かってしまうので、過去の記事まで消さなくてはならないからです。インターネット上にあげているものですから、当然リアルの知り合いの目に触れる可能性もあります。私は生きることと文章を書くことを並べるくらい、文章を書くことを大切にしております。知り合いの目に触れたくらいで、筆を折りたくないのです。その程度でやめられるほど、生半可な気持ちで書いておりません。何より物書きと名乗ることを目指す人間が、人の目を気にして自分の守ってきたものを曲げるなんてこと、許したくありません。

ちょっぴり熱くなってしまいました。私は生来、文章を書くことでしか自分を表現できない人間でした。文章は本当に命の恩人ですから、他の表現を手に入れたとしても手放したくありません。このプライドは何を捨てることになっても守りたいです。たとえ今の幸せが逃げてしまったとしても、私は書くことに向き合い続けます。

以上、「物書きと名乗りたい私の、プライド」でした。
最後までお付き合いくださいましてありがとうございました。
次の投稿でまた、お会いしましょう!