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コード無きメッセージ


前回のnoteで僕は、誰もが自分の人生の主役になれる世の中を作りたい。と述べた。
またFBでは具体的なデザインを求められた。
そこから時間が経ち、どういう風に考えていたのか、順に述べていくことにする。


1,そもそも写真とは?

企画が何も思いつかないくせになぜか、「写真というものを使って何かしたい。」とだけ強く思っていた。
そこで写真とは何か考えてみた。自分が今まで撮ってきた写真を見返したり、平田さんに勧められた本を読んでみたり。ピンとくるどころか謎は深まるばかり。

そんなある時、一冊の本に出会った。ロランバルトの『映像の修辞学』である。


詳しくは覚えていないが、Googleで「写真とは何か」と調べたら出できたような気がする。その狙いどおり彼は参考になる言葉を残していた。

彼曰く写真とは、「コード無きメッセージ」であるという。写真そのものは現実を切り取り平面的にコピーしたものなので、そのメッセージを読解するのに、あらかじめコードを知っている必要はないという事を述べている。なるほど、僕が写真に固執し、魅力を感じるのは、こういった特質を持っているからなのかと腑に落ちた。(サブゼミ志望理由に書いた「エモさ」もまさにこの事)

まだまだ続きはあるが長くなるのでこの辺にしておく。(実際まだこの本を読み込めてないというのもある。)

このように写真というものを、自分なりに納得できる形で言語化できたので実際に企画を考えてみたい。


2,写真展やりたい。

これはなんとなく前から考えていて、何人か友人に声かけたこともあるが実現に至らなかった。なぜやりたいの思うのか。
僕はかつて所属していたサークルのプロジェクトで写真展の運営を何回か手伝ったことがある。そのプロジェクトはインドやフィリピンなどの国の子供たちにインスタントカメラを渡し、「大切なもの」をテーマに自由に写真を撮ってきてもらう。そしてその写真を今度は日本に持ち帰り、撮った理由のキャプションとともに展示をするといったもの。

それらの写真にはいろんな意味で澱みがない。ニュースやドキュメンタリー作品ではどうしても製作者の意図が混じる。当事者が撮ってきた写真だからこそ、余計なレンズを通す必要もなくなる。
そしていろんな境遇の子供達が撮ってきた写真を見ると、自分の人生と重ね合わせるのに壁が存在しない。「あれ、家族との時間大切にしてたっけ?」「そういえば食べ物粗末にしてたなぁ」などなど。一枚一枚に撮った人の想いを自分ごとに自然と置き換わる。

撮る人も、見に来る人もそれぞれいろんな価値観を持っている。それが「人生で大切なもの」をテーマにした写真を中心にした空間の中で各々がじっくりと自分の人生を考え直すことができるいい機会になると考えた。

3,具体的なプラン

ほとんど上記の写真展と同じ。オリジナリティーがないのが後ろめたい気もするがそれ以上に実際にやってみたいという思いが買ってしまう。
条件としては
①テーマは「人生で大切にしているもの・こと」
②撮影者のバックグラウンドはできるだけ多様
③キャプションは少なめ。(いっその事無しでもいいかも)

今のところこんな感じでこれからの活動次第で柔軟に変えていきたい。

4,あとがき

なんとなく少し具体的な案ができただけで実行には移せてない。
もっといろんな角度で写真というものを考える必要があるなと思った。
ロランバルトの他の著作を読んでみたり、実際に写真展に行ってみたりしてヒントを得たい。

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