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空の器12/君たちは確かに天使さんなんだね、ベイビー

 このタイトルの「天使」は看護師ではなく赤ちゃんたちね。


まだ名前も持っていない新しい命たちの、ねむい、さむい、おなかすいた、わかんない、こわい、さみしい。
そんな呼び声がずっと聴こえていたから寂しくなかった。


最初は怖かった。悲しすぎたから。
病室に通されて本当に怖くなった。誰もいない、寂しい病室。

けれど逃げ出そうと思うことはなかった。ただ漠然と、何となく、大事にしたいと思った。誰の子でも。いつか、出会う誰かの子も、多分、私自身も。

寝巻に着替えて、点滴を腕に刺してもらって、自分用のバーコードを腕に巻いて。

(術前の説明について書いていなかったね、ジャージ的な寝巻を用意してくださいと言われます、他にはスリッパ、生理用ナプキン夜用、替えのパンツ。
それから前日までは飲食可。当日は絶飲食になりました。静脈麻酔を使うので、絶飲食です)


前処置で処置室で子宮口を広げるラミセルというものを入れる。子宮の入り口に入れて数時間かけてゆっくりと広げていくらしい。
(なので入院時間は朝一番です。8:30に入院手続きをして病棟に来てくださいと言われます。)


数時間後、「処置が終わったら使うので大きめのナプキンを処置室に持っていってくださいねー」と言われながら処置室に向けて、点滴台を自分で押して歩いているときに気が付いてしまった。
私が今から受ける手術は堕胎とほとんど同じ。子どもを望み、産むつもりでいた私が、子どもとさようならする人と同じ処置をする。しかも2回も。変な感じだった。
 私は産みたかったし、会ってみたかった。覚悟もした。それなのになんで同じなの?
産みたくても産めなくて堕胎を選ぶ人が居ることを私は知らないわけではない。病気があって産めないことももちろんある。それも知っている。それでも、自分の中からそんな考えが沸いて出たのは、ちょっと悲しかった。
どうして手術をするのか、それもよくわかっている。私の体を守るため、次にまたその子を出迎えるためにそれが必要だったからだ。

その為の手術。それだけの必要性があったとよくわかっていた。

めそめそしながら廊下を歩いて、処置室のひとつに入る。もう、逃げられない。


栄養剤をぶっ差してやってくださいませ(´・ω・`) ナニモノにもなれないようなナニモノにかはなれたような、不完全で不器用な人間のはず。良かったら戯れてやってくださいませー!