素人が小説を書いてみる「電車で見かける気になるあの子・前編」
こんな男子高校生の生活をイメージしてほしい。第一志望の高校へは入れず、校則は無駄に厳しい、自分の地元からは遠い、入りたい部活も無く友達も多くない上にそこまで格好良いとは言えない、あるお笑い芸人に似てるという理由でからかわれる事も有った2000年代後半のモテない男子高校生の生活を。そう、言うまでもなく僕の高校生活はイギリスの空並みにどんより、ぱっとしない冴えないものだった。し・か・し、これはあくまで学校内の話、1・2年生の時の話。高校生活最後の一年の学校外、つまり通学、時に帰宅の時間は僕にとって一つの清涼飲料水、あるいはだだっ広い砂漠のオアシスと化した。ある一人の女性の存在によって。
三年間の通学と帰宅で、僕が利用していたのは電車。時間にしてそれは大体40分程で、乗っている間は本当は前日に予習するのが妥当と思われる毎朝行われる小テストや当然受験の為の勉強に費やしたり、窓向こうの変化に乏しい田んぼ中心の景色を眺めてばかりだった。これだけ聞けば学校外の時間も退屈に聞こえるだろうけど、決してそういうわけじゃない。
三年間僕がほぼ常に乗り、座っていたのは何となく落ち着くという理由で、進行方向とは反対側である一番後ろの車両の二人席。三年生になったばかりの僕は、早速そこに座るとテキストを広げ、睡魔という強敵といつも通り戦い始めた。乗車して数十分が過ぎた頃だろうか、途中駅に到着、コーラのような弾けたプシューという音と共にドアが開き入れ替わるように人が出ていき、また入ってくる。僕はそれらの音や動き、そして匂いを耳や鼻で感じ取っていた。睡魔にあっさり負けた目はともかく。
閉じかけた目の代わりに、僅かに研ぎ澄まされた耳と鼻。前者は柔らかく一歩一歩フロアを進むローファーらしき靴音、後者は僅かに香り立つシャンプーらしき豊かな匂いをとらえた。そして連鎖反応的に開かれた目の前を、これから1年間自分の心の支配者として君臨するあの子が通り過ぎた。そう、少なくとも僕にとっては「きれい」とか「美しい」といった言葉でさえ形容するには役不足に感じる、あの子が。
その光景は、時間で言えば僅か数秒の出来事。しかしこれは自分という人生の歴史の中ではどんな出来事よりも放つ輝きは眩しく、もし映像ならばこの数秒間を表現する為にありとあらゆる演出が優雅なストリングス主体の音楽と共に施されるのは間違いない。例えばスローモーションで、歩く度に揺れる彼女の長い髪の先端が、小気味良く空気の中で流れ泳ぐ様をカメラは映すだろう。そして朝陽がやや大きめな目、髪と髪の間に幾つもの線状となって差し込み、雪色の肌に温かさを伴わせ、学生にしては大人びた横顔のくっきりした輪郭をなぞる。
そんな、海外のハリウッドスター出演の日本のシャンプーのCMみたいなバカな妄想は置いておいて、ともかく彼女は僕の睡魔を瞬時に退治し、片想いの歴史を完全に塗り替え、少し離れたボックス席に座った。なぜあれだけ美貌の女性がこんな田舎の電車に?タメなのか、それとも年下なのか?趣味はなんだろう?彼氏持ち?得意科目は?どんな友達がいる?
テキストの覚えるべき文字達が弾き出される一方で、様々な妄想が頭を埋め尽くしていく。制服は自分の高校と違うから、同じ学校ではないのはとりあえず明らかだ。
怪しまれない程度に横からボックス席を時折ちらちら見る。僅かに見える顔は常に下を向いており、携帯か読書か勉強をしているようだ。一つ一つの駅に止まる度、彼女が降りるか気になる。そんな独特の緊迫感が保たれて数十分が経った後、彼女は僕の降りる駅よりも3つ前のやや大きめの駅でドアが開くタイミングを見計らっていたかのように、颯爽と降りて行った。ドアが閉まり、次第に駅を離れていく電車。僕は窓に一瞬映ったホームを歩く彼女を出来る限りこの目に焼き付けた。
それからというもの、僕は彼女が所有する檻の囚人となった。ただこの檻は自由に出入り可能なものであり、僕は自ら好んでほぼ1年間この檻に入り続けていたわけだ。出来れば1.2年生の時に出逢いたかった。受験生でもあるのに、タイミングが悪すぎると嘆きながら。
雨の日も風の日も、僕の心は晴れていた。通学時僕は常に同じ二人席に座り、教科書を読んでるふりをしながら同じく常に少し離れたボックス席に座る彼女をちらりと見るという、ちょっとした演技を何度も繰り返した。当然、そのボックス席に座りたいという願望は常に有った。
退屈な授業の時間は当然、何年も前、何十年も前の片想いの学生達が行ってきた習わしを、忠実に再現するかのように妄想の時間に変わる。今の時間、あの子は何の授業を受けているのだろうか。色々な数字や要点を味気なくノートに書き殴ってる?それとも幾つもの蛍光ペンを使い分けてノートを一つの作品に昇華させようとしている?それともバレないように熟練の技で携帯を机の中に半分程隠しつつ操作している?そんな妄想を広げつつ、僕は窓の外の青空、体育の時間はグラウンドの土、そしてノートの片隅にあの子を何度も描いた。それは絵心のなさを承知のうえで行なわれ、僕は自分自身の能力の低さを呪ったものだ。
昼休みの時間も、当然あの子は頭に居る。数少ない友人達が映画やドラマに出ている誰々がカワイイと言っている。とりえあず適当に同調しつつ、あの子の方が彼らの会話に出てくる子達なんかよりずっと綺麗だと無言で何度もシャウトする。友人の一人があるCMの話をする。
「あのポカリかアクエリアスのライバルみたいな、清涼飲料水のCM観た?あれに出てる子かわいくね?」
「えっと、どんなCMだっけ?」
「学校の屋上のフェンスに顎乗っけてだらんとしてブルーになってる男がいてさ、そこにその子が顔が青いぞ、少年!って笑顔でそいつの頬に飲み物当てて驚かすやつだって。その子滅茶苦茶かわいーの。あんな子がクラスメイとだったらな~」
「よくあるベタなやつじゃん。大体うちの学校屋上閉鎖されてるし、あんなのただのCMだよ」
「そんな事言っといて、なんだかんだ脳内で男を自分に置き換えて妄想してたんじゃねーの?あの三枚目芸人に似てるお前とその子じゃ明らかに不釣り合いだけどな!」
その時は冷めた意見を友人に浴びせて相変わらず最後にはからかわれたが、場所と時間は変わって夜の僕の部屋、パソコンでそのCMを調べて動画鑑賞中。なるほど、そこそこ可愛いけどタイプではないな、なんて思いつつ自分の感性はその映像の男子は自分に、その女子は電車のあの子に切り替えていった。しかし、やはり違和感がある。あんな高嶺の花がこんな冴えない男に飲み物買ってそれを頬に押し付けるか?罰ゲームじゃあるまいし、ミスマッチの極みだ。先程開館した妄想劇場はたった今閉館、女子はあの子のままだけど男子は僕じゃなく、CMに出ていた一見冴えない風を演じているけどなんだかんだ顔が整って身長も高い、スタイルに恵まれたモデルから戦隊モノに主演してこれから役者として売り出すのであろう二枚目俳優に戻っていた。そうだ、これが正しいんだ。
そう思うと、悔しさがマグマのようにふつふつと沸いてくる。あの子と付き合える男がこの世に居るのか?夢中になってる男が居るのか?彼女の視線を占めている男は一体誰なんだ?勉強や体育の時間で、かっこいい所を見せてあの子を夢中にさせている男も居るんだろうか?そもそも、別に仲良くなかったってあの子と同じ教室やクラスに居れるだけで・・・。そうだ、あの子の学校はどこかまだ調べてないんだった。
早速ネットで調べると、あの子が降りた駅の近郊には3つの高校が存在し、制服を調べるとどれも正直区別がつきにくいブレザーで、結局どの高校に通っているのかはっきり分からなかった。とすると、やはり自分の目で確かめるのが一番だ。
翌日の電車、いつも通り席に座り、あの子もいつも通り少し離れた席に座る。いつもと違うのは自分の降りる駅だ。あの子は降りる駅に到着し、降りていく。少し経った後、人ごみに混じって僕も降りていく。ストーカーみたいだけど、なにも学校までついて行くわけじゃない。そうやって自分を納得させる。3つの高校はどれも出口が違っているので、どの出口から駅を出ていくかでどの高校なのか分かるはずだ。あの子、改札を通る。その約10秒後、僕も改札を通る。あの子と同じ制服の生徒たちが人ごみの中で少しずつ増えていく。そしてあの子達は東口へ。ここで僕はホッと胸をなで下ろした。その東口に一番近い高校は3つの高校のうち唯一の女子高で、見かける生徒達の性別、そして制服こそ違いが分からなかったものの指定のカバンで答えは更にはっきりした。とりあえず同じ学校に通う男子が居ない、という事実だけで僕は何故か少しだけ安心した。そしてすぐに踵を返し、元の電車のホームへ急いで戻った。次の電車に乗れないと遅刻は確実だ!
結局遅刻し、珍しい視線を浴びたのは言うまでもないのだが。
随分早送りになってしまうが、僕はその後あるタイミングで電車を降りたあの子に思い切って声を掛け、なんとかメールアドレスを入手する事に成功、その後は驚く程の早さで二人の距離は縮まり、僕らは夏が遠のきつつある、人気のない浜辺に遊びに来て潮騒の音に耳を傾けていた。あの子のつばの広い白い帽子に、同色のワンピースというコーディネートは古き良きロマンチックな映画からそのまま出てきたようだ。そんな彼女に僕は声を放つ。
「あのさ」
「なに?」
「出来れば君とずっと一緒に生きていけたらな、と思って」
「あれ、それってプロポーズ・・・?」
「・・・うん!そうだよ。結婚前提でお付き合いして下さい」
僅かな沈黙。
「こちらこそ、宜しくお願いします・・」
僕は自分を取り囲む、この世のすべてに感謝した。
「なわけねーだろッ!」
それまでの雰囲気を全て破壊するかのように、そして、猛々しい野太い声と共に彼女の白く細い腕が瞬時に動く。強靭な拳が目の前に現れ、僕の顔にめりこんでいった。束の間の妄想・夢劇場はここで閉館を迎え、僕の真横にはあの子の代わりに無表情の目覚まし時計が朝を叫んでいた。そうだ、今日は夏休み前最後の登校日だ。
通学時、普段通りあの子をたまに遠くから眺めながら、いつも以上に切なさに襲われた。これから夏休み、それも高校生活最後の夏休みが始まるというのに当分君に会えないなんて。勿論受験勉強が大事なのは分かってるけど、本来は休みという開放的な期間が始まって嬉しい時期なのに、気持ちはむしろ逆方向を向いている。それ故に、無意識にいつもよりあの子を見つめる時間が少しだけ長くなっていたのは言うまでもない。
かくして、夏休みはある種の絶望を立ち込めながら始まった。部屋にこもって一応勉強こそしていたが、時間と時間の間に割り込んでくるのは、やはりあの子に対する好奇心。せめてあの子の写真やポスターが1枚でも有って、部屋に貼り付けてれば多少勉強に対する集中力もモチベーションも上がるのに。それも「○○君、頑張って!」なんてフキダシを勝手に付け足してさ。以前ドラマでそんなの観たよ。
仕方ないので、有名人であの子に似てる人はいないか探し始める。あの子の最近見当たらない雰囲気故に「昭和 女優 美人」「モデル きれい系」「超絶美人 有名人」といった言葉で検索しまずヒットしたのが昭和30年代に活動し、主に怪獣系や怪奇映画に出演していた女優。しかしあの子と比べるとちょっと顔が派手だし、唇も厚め。そうだ、ある人物の名前を入力するとそれに似た人を何人も挙げてくれるサイトがある。その女優の名前を入力して、更に似てる人を探そう。そのサイトで絞り込んだ結果、昭和末期から平成初期にかけて活動してタレントが一番似ていると感じ、ひたすらそのタレントの写真を作成したフォルダに集め、数少ない彼女の粗い動画を観てお茶を濁すことで僕の夏休み・7月終盤~8月初旬編は過ぎていった。
冷たい麦茶もそろそろ飽き始める8月中旬頃になると、勉強にも飽きてくる。自分で言うのもなんだが、友達も少ない、部活もしていない、特にどこか遊びに行ける場所も機会もない高校生の場合、1・2年生の頃から勉強する時間にはなんだかんだ恵まれており、模擬試験の志望校判定も悪くはなかった(しかし、勉強が出来る=モテるには繋がらないのがこの世の残酷な所だが)。
そうなると、ほんの僅かに余裕が生まれる。どうせなら、自分が抱えるあの子に会えない話せない付き合えないというフラストレーションを昇華出来る何かを探したい。そんな気分でネットサーフィンをしていると、週刊少年漫画雑誌による一般公募のシナリオ募集の記事を発見した。これだ!
締切は8月31日までと、まだ2週間程有った。僕はあの子と出逢ったという現実的な要素と、自分がその子に対し試行錯誤してアプローチ、結果成就するという理想的な未来の要素を組み合わせたシナリオを書いた。0から作るなら大変だろうが、これならスラスラとあれこれ思い浮かぶ。電車の中で出逢って気になり声を掛ける。あの子、返事する。
パターン1「私も気になってたんです」 都合良過ぎるだろ。
パターン2「あなたのような男が、この私に!?笑わせるんじゃないわよ!」昼メロか。あのビジュアルのイメージなら、そこまで違和感は無いけどさ。
パターン3「あの、前から知ってましたけど、気持ち悪いですよ?」冷たい現実。返事するパターンじゃ駄目だな、何かあの子ともう少しドラマ的であり、割と自然な出来事を作る必要があるな。
そうだ、ある日普段見かけるあの子の様子がおかしいので、遠くから凝視すると痴漢に遭っていて、最初こそ戸惑ったけどこちらも思い切って勇気を出してそれを摘発、それをきっかけに二人は知り合い少しずつ仲良くなる、ならまだマシかもしれない。
これを起点として、僕は思いつくまま更に続きを描いた。放課後近隣のショッピングモールのゲームセンターで遊んだり、フードコートで食事、夏は海辺でテトラポットの上を歩きながら他愛のないことを話して(海なんて近くにないけど)、それから浴衣着て花火大会だ。でもドラマとしては上手くいき過ぎるのはそれはそれで違和感有るから、噛ませ犬的存在として自分より高スペックな男ライバルをトッピング、あの子も一時はそっちの方に心傾けるけど最後に男の気の多さがバレて僕の方に振り向いてめでたし、めでたし。
という、結局完成したのは、普段仲間と小馬鹿にしている女子高生と、二枚目ドS男の恋を描いた最近の邦画の性別逆バージョンのような余りに稚拙で、余りに個人的なシナリオ。自分の創造性なんてこんなものだと開き直りつつも、僕の心は一つの作品を仕上げた事に対する満足感で満たされていた。勿論人が見るであろう作品ではあるのだが、自分の内側から今にも突出しそうなフラストレーションを源流とする創造性を昇華するには、自己満足としか言えない表現を込めたシナリオを作り上げるしかなかったのだ。書き終えて応募した後で漂う独特の切なさで満ちた部屋の窓には、ひぐらしの鳴き声が聴こえる、秋が微かに覗ける夏の終わりの夕暮れが映っていた。
残りの夏休みや学校が始まった以降も、僕は自分が出来るあらゆる行動をした。例えば、あの子の通う女子高の掲示板関連を色々見て、彼女に関する情報のようなものがないかくまなく探したり、部活で学校に通っているかもしれないという理由で、あの子の学校の周りをさり気無く散歩したり、乗り降りする駅に降りて、彼女が慣れ親しんでいるはずのそこに広がる景色を眺めたり道を歩いたり。そうすれば少しだけお互いの感性を近付けることが出来るかもしれない、なんて考えたりして。家の近くの神社に、あの子と結ばれますように、なんて祈ったりもしたよ。
妄想劇場も、近くのレンタルショップで映画のDVDを借りることで頻繁に開館しては閉館を繰り返した。様々な映画の中で描かれる主人公とヒロイン。それは僕とあの子に自然と変わり、あの子は時に周りから理解されず孤立する僕を唯一理解しようとする賢い女子生徒や、犯人捜しに躍起になるも罠にハマり閉じ込められた僕を必死に探し出し助け、ついでに犯人も退治する女刑事、キャンプ場で他の仲間達が謎の殺人鬼に殺される中、甲高い悲鳴をあげつつも僕と共になんとか殺人鬼を退治しようと躍起になる女子大生、研究の為自ら実験台になったことで怪物と化してしまった僕をなんとか元に戻そうとする同僚の研究者、戦争に行った僕を海が見えるひまわり畑で一途に待ち続ける恋人、南イタリアを頭にスカーフを巻いて古いオープンカーで新婚旅行、オリーブの木実るだだっ広い果樹園でかくれんぼする妻等を演じていた。
しかし、その妄想もリアリティを意識すれば、僕とあの子のビジュアルの差が浮き彫りになる。自分に似た人間が主役の作品が有れば救われたかもしれないが、そんなものは洋画にしろ邦画にしろ漫画アニメにしろなかなか見つからない。夜、眠る前に歯を磨きながら眺める鏡は、毎夜僕を現実という名の拳で殴り続けた。結果、妄想劇場が閉館すれば僕は自身の髪、顔、筋肉、身長等を時に恨んだりするようになった。そして、追い打ちをかけるかのように応募したシナリオの結果が来るもやっぱり落選、その日の鏡にはいつも以上に脱力した情けない顔の男が映っていた。もはや三枚目芸人以下だよ。
そして秋から冬、卒業まであの子に関する印象的な出来事は残念ながらほんの少しだ。まず1つは、帰宅時の出来事。その日もいつも通り学校が終わり、帰りの電車に乗り込んだのだが、部活の大会帰りの学生も居た為か、普段よりも車内は混んでいた。いつもは座れた席も埋まっており、仕方なく入口付近の手すりに掴まって電車は発車した。
立ったままテキストを取り出して勉強する気分にもならず、僕は受験勉強で最近眺めていなかった外の風景を眺めることにした。久々故に少々新鮮味を取り戻しつつあった風景が映る窓に、斜め後ろのロングシートが微かに反射する。そこに座っているのはサラリーマン風のおじさんに子供連れのお母さん、そして、、、あの子だ!
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