「組織」に期待する時代は終わった

民間企業に長らく勤めていて分かったことは、もう組織に頼ったり組織に期待する時代は終わったと思って良いということ。

長らく年功序列、黙って業務に精励していれば自然に給料が上がっていた時代はバブルの崩壊、リーマンショックによって終焉を迎え、今や能力主義、成果主義の時代である。さらに近未来においてはAIが人間の仕事を片っ端から奪っていく時代が来るとも言われ、これから30年後には今の仕事の半分はAIに取って変わられると言われている。

そのような動きは学校にも波及し始めており、民間と同じように右肩上がりの昇給どころか、教育にかける予算がどんどん削られていく有様。しかし、それに反比例するように求められる業務、教員の資質能力は増える一方であり、教員が「魅力のある職業」と言えなくなった原因である。

とはいえ、教育は生身の人間を相手にしないと成り立たない職業であるため、AIに取って変わられることはないだろうが、時代はますます情報化社会が進み、GIGAスクール構想のもと、授業のICT活用が進んでいく。これまでの授業の在り方を根底から変えていく必要がある。

しかし、この加速度的に進む教育の技術革新の割に、教育委員会や文部科学省の動きが鈍いのが気がかりである。学校は文科省・教育委員会のもとで動いているものだから、「組織」が動かないことには現場の教員は動きようがない。しかし、確実に子供たちの学習は進化させなければいけない。もうがんじがらめである。

文科省や教育委員会が適切な判断をしてくれないと何もできないのでは、組織として社会に遅れていく一方である。もう既に、民間企業に比べたら周回遅れである、というのが正直な感想である。残業代が出ず、その代わりに雀の涙にもならない「教職調整額4%」などという、何十年前の制度そのまま残り、まだその制度を変えようとしない組織。残業することが美徳とされた時代はもう終わっている。

・・・とはいっても、残業も十把一絡げに悪いと言うことを言いたいのではない。むしろ、目の前の子供たちの学習を如何によりよくしていくか、成長を促していくかを考える上で、時間を惜しんでまで教材研究に勤しまれる教員には頭が下がる。そういう人たちもいて、そういう人たちが報われるような制度へ変えてもらえないかと思っている。

私個人として、民間企業を経験してこれから教職に奉じることを考えた時に一番重視したいのは、「自分が如何に業務を効率良く処理し、目の前の子供たちの幸せのためにできることを研究し、自己研鑽を重ねることができるか」を考えたい。その方法として、定時退勤、本来教員がやるべきではない仕事をやらない、業務効率化のアイデア等々。これらに共通するのはやはり「時間の有効活用」である。時間は人間に等しく与えられた、限られたものである。その時間を如何に有効活用するかは、組織は考えてはくれない。自分で考えるしかない。組織を頼ること、組織にお伺いを立てることはもう期待できない。服務規程もあるし、当然拘束される部分もある。しかし、それを待っていたら自己実現は永久にできないと思う。組合を通して業務改善を交渉する、というのも私からしてみたら時間の無駄と思っている。要は自分がどうありたいか、どうしたいか、自分で考えて行動するしかないと思っている。

周りとの協調性という観点から「あの人は勝手に行動している」と「同調圧力」がかかるだろうが、それこそ日本人の特性としてマイナスの部分だと思う。

同じように考える教員仲間があちこちにいる。定時退勤をして自分の時間、家族と過ごす時間を大切にする人もいる。そうやって実践している教員は本当に生き生きとしている。組織に縛られていない。そういう教員を私も目指したい。

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