民間企業出身の教員志望者から見た学校

これまでに小学校3校で学習支援員(ボランティア)をやってきた。いずれも会社員として勤めながら、その合間にやらせていただいていたので、本当に学校の中のことを詳しく知ることができたわけではないが、かかわっている中で感じたことを、特定されない範囲で綴ってみようと思う。

まず、学習支援員として入って感じたのは、働き方がまったく違うということ。当然と言えば当然だが、民間企業にある“常識”は教員にとってはまったく異なっていた。

先生方はとにかく休みがない。話に聞いてはいたが、こんなに間断なく業務が続くとは思わなかった。休憩時間はどのように確保されているのか、と訊く間もなく、ずっと動きっぱなしである。これじゃあ教員が疲弊し、退職したいと思うのも無理はないと思う。

私は教員になるために、研修のつもりで一日の最後までいることが多かった。幸いにして普通の教員と遜色なく接していただけたので、いろいろ学ぶことが多かった。授業の1コマをいただいて実際に授業もやらせていただいた。授業後、評価もしていただけた。授業の良かった点、ここは直した方が良いかもと言った点など、ありのままに伝えていただけた。職員会議にも普通に参加し、教員の全体の動きもある程度知ることができた。教育実習を受けていない私(注:小学校教員資格認定試験を受けたため)にとっては、学習支援員兼実習生のようだった。

そのうち、栄養教諭や初任者と個別に話をしたり、そこそこベテランの教員の公開授業を見させていただいたりした。年度末までの短い期間だったが、実際の学校現場に行って分かったことがある。教育書や教育系の動画を観るだけでは分からなかったさまざまな事象が実感を伴って理解できた。

私は教職に就くにしては、決して若手とは言えない。かといってベテランでもない。社会人経験が多い(27年)だけあって、そこそこ常識というものを持ち合わせているつもりだけれど、教職に対しては非常にクールな目で見ている。

クールな目、決して冷ややかな目とか、冷めた目とかそういうことではない。極めてニュートラルに見ている。この視点で観ると、いかに教員という職業が過酷で、飛び抜けて“常識”から外れているかが分かる。

中にいたらまず気付かないだろうなという“常識”は、まず法意識が圧倒的に低いということだ。休憩時間もしかり、残業時間もしかり。日本国民が守るべき、また守られるべき「労働基準法」の定めを大きく逸脱している。そしてその逸脱していることを黙認している状態は極めて異常である。守りたくても守れないのか、本当にそういう意識がないのかは分からない。ただ、その働き方が当然のように、半ば慣習化している事実は看過できない。

教員は「崇高な使命に基づき研究と修養に努め」(教育基本法第9条)ながら、長らく教育への献身によって日本型学校教育に寄与してきた。そのために世界からも高い評価を得ていることは確かだ。しかし、それは裏を返せば「自己犠牲」に他ならず、教員一人の尊厳は守られていないというのが現状である。

端で様子をうかがっていると、常に授業の反省会や次のコマの教材研究など、教員は誰しも一生懸命だ。皆誇りを持って仕事をしているように見える。しかし、これは良い面もあれば、「もう少し楽にやれる方法はないのか」と思う面もあったりする。

その働き方で自分は幸せなのか?家族がいる人は家族を犠牲にしていないか?そんな思いがずっと頭から離れず、自分の教職への思いと絶えず対話を繰り返していた。

何か見えない圧力というものがあって現状を変えられないというのなら、それは真っ向から否定すべきだと思う。必ずしも献身的・自己犠牲的な働き方が美徳、というわけではないからだ。合理的な働き方、関わり方を模索していくこと、しかしながら子供たちへの愛情は忘れずにいたい、というのが私が教職に対して持った感情である。

そうはいっても・・・と反論はあるかもしれない。確かに、その思いだけで教員をやっていることは難しいし、酷だ。しかし、「どうせできない」と考えることを諦めてしまったら、何のために教員になったのか分からなくなるのではないかと私は思う。

これはいい、このやり方はおかしい、もっとこういうやり方をしたらもっと良くなるはずという問題意識を率直に現場で吐露していってもいいのではないかと思っている。

私は教員に対してキラキラしたイメージはまったく持っていない。かといっておどろおどろしいイメージもない。ただ、愚痴や不平、不満ばかりが渦巻くSNSなどは、居心地が非常に悪い。これでは教員志望者が減るのは仕方ない。ネガティブな情報に触れていると負の気を感じて、こちらまで鬱っぽくなる。そうならないために教員は「魅力ある職業」を目指すべきだが、どうもかけ声ばかり威勢が良くて、実感が伴っていない。#教師のバトンでも明らかになったように、出てくるのはネガティブなことばかりである。違うんだよな、何かが違う・・・。ずっとそんな思いを持っていて、スッキリしないのだ。

もっと教員は誇りを持ってもいいし、よどんだ空気を変えるように行動してもいいと思う。ただ、偉ぶったり天狗になってはいけないが。

私はそんなよどんだ教育の世界を変え、教員の誰もが働きやすい職場づくりを目指していくために、民間企業経験者として、そこそこ経験を重ねてきた中堅として教育に関わっていきたいと思う。

※記事はあくまでも個人的な意見です。

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