安定的な皇位継承のためー日本という国を永続するための知恵を

安定的な皇位継承策などを議論する有識者会議が、①女性皇族が婚姻後も皇籍に残り「女性宮家当主」とする、②旧宮家の皇籍復帰の2案をまとめた。

このことについて考えたことを述べたいと思う。

まず、女性宮家創設についてであるが、皇位継承権者の確保のために創設するなら反対である。巷間言われているように、民間男性が皇族になり、その子が皇位継承権を有し、将来天皇として即位した時点で現在の皇室とは血筋ではつながっても、その性質は大きく異なる。すなわち、現皇統と別のまったく新しい皇統が生まれることになり、日本建国以来2600年以上続く歴史は重大な転換となる。そうなるともはや日本とは言えず、日本の歴史、皇室が長い間守ってきた伝統や文化が断絶することを意味する。

女性宮家のもう一つの問題は、財政的な問題である。皇室は古くから増えすぎた皇族を自主的に臣籍降下させ、極力朝廷の財政圧迫を避けてきた歴史がある。現在では逆に、皇室を構成する皇族方が減少し、将来的に悠仁親王殿下が即位される頃には殿下を支える皇族がひとりもいなくなる事態が発生する。その窮余策として出てきたのがこの案であるが、民間男性が皇室に入る事例は過去一度もなく、民間男性が皇室に入ることで、その出身の家が権力を持つようになり、皇室を脅かすことになりかねない。権威を揺るがしかねないため、敢えて男性皇族に厳しい制限を課してきた。男性皇族の皇籍離脱が容易でない背景には、皇位継承権者が減ることを危惧するだけでなく、皇室の在り方を揺るがしかねず、ひいては日本の歴史的、文化的なつながりを絶つことになりかねないと危惧してのことである。そして、民間男性が皇室に入ることを絶対的に避けてきたのも、過去足利義満や藤原道長などがしてきたように、皇室の権威を利用して権力につくことを排除するためでもあった。長い歴史の中で培われた「知恵」でもある。

現代、皇室の御公務はすべての皇族方が陛下をお支えして行われているものである。天皇陛下の補佐的な役割を担っておられるのである。ただ、陛下の御公務を代理することは陛下に重篤な事情があり、摂政としておこなうこと以外できない。摂政の就任順位があらかじめ決まっており、こちらは皇后陛下を第1位として成年皇族が陛下から近い順に順位が定められている。

もちろん、宮中祭祀を陛下の代わりに行うこともできない。女性宮家を作ったからと言って、陛下のご負担が減るわけではなく、かといって皇位継承権を有するわけでもないので、御公務を行うために女性宮家を創設するというのであれば、考えられなくもない。

この辺り、女性宮家=皇位継承権者の安定的な確保につながると考えるのは些か乱暴である。混同してはいけない。

皇位継承権者の安定的な確保に直接かかわってくるのは、男系男子の確保であり、その案でより現実的なのが「旧宮家の皇籍復帰」である。

ここで間違ってはいけないのは、「旧宮家の皇籍復帰」とは元皇族が皇籍を回復することを意味するわけではない。旧宮家(の血を引く御子孫)の皇籍取得、という意味である。

当然ながら、現在の旧宮家の方々はすでに民間人としてお暮らしになっているが、祖父母や曾祖父母が皇族であった方で、昭和天皇や明治天皇につながり、さらにさかのぼると北朝第3代崇光天皇に端を発する伏見宮家の系統である。伏見宮家は代々「世襲親王家」として皇統と伴走するように皇族としての地位を与えられて続いてきた家である。現在の皇室(今上天皇や皇嗣殿下、上皇陛下など)は母君・祖母君である香淳皇后を介して伏見宮家の血を引いている(香淳皇后は伏見宮分家・久邇宮家のご出身)。さらに、昭和天皇の第一皇女・照宮成子内親王の嫁ぎ先である東久邇宮家の御子孫は、今上陛下と従兄弟、そのお子様に至っては悠仁親王殿下と又従兄弟の関係であり、お歳も近いという。

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旧宮家は、戦後GHQの皇室改革によって、皇室財産が没収され、宮家の維持が不可能になったことから、当時の秩父宮、高松宮、三笠宮の三直宮家を除く11宮家、51人の皇族が皇籍離脱を余儀なくされた。中には戦争の責任を皇族が取るべきとして、率先して皇籍を離れようとされた宮家もあった。

皇籍離脱が確定した日の皇族のお集まりで昭和天皇の側近が「このたびは皇籍を離れることになったが、いつか皇室に危機的な状況に陥ったときは再び助けを乞うことがあるかもしれない。その時のためにどうか慎ましくお過ごしいただきたい」との趣旨の言葉を述べたという。

旧宮家の皇籍復帰にはいくつか乗り越えなければならない「壁」がある。まず、70年近く民間人として過ごされ、世代が変わったこと、それから国民の理解である。

一旦皇籍を離れた者が皇籍を回復した例は過去にいくつかあり、いったん臣籍降下した方が皇籍を回復して天皇に即位された例(宇多天皇、醍醐天皇)、直系子孫が断絶し、6親等以上離れている方から養子縁組や先代の天皇の残された内親王と婚姻することで皇統をつないだ例(継体天皇、光仁天皇、光孝天皇、光格天皇)など多数ある。旧宮家の皇籍復帰は何も真新しいことではないのである。

旧宮家の皇籍復帰は、現時点でいちばん、というより唯一の安定的な皇位継承に関する方策であろう。そのためには、戦後の一時期、「外圧」によって皇室を離れざるを得なかった方々の「名誉回復」を図り、土台を作った上で皇室に入っていただく方を数名、陛下の養子または現宮家の後継者になっていただくことが必要だと考える。

皇室の危機はすなわち日本という国の永続的な発展において危機であるといっても過言ではない。皇室と日本はその成立から表裏一体であり、どちらが失われても継続するものではなく、たとえこの先皇室がなくなっても日本という国は続くだろうが、それはこれまで培ってきた「日本」ではない、中身がまったく異質に変化したものであると考える。これまでにないほど知恵を絞らなければ、日本の存続も危うい。国民挙げて、この危機に真剣に向き合わなければならないだろう。


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