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まずは人柄を知ってもらいたい。私の生い立ち~現在に至るまで

よくテレビで、芸能人のデビュー当時の映像や、過去の辛い経験などが放送されているのを目にする。放送されている回数が多いのは、それだけその人の過去を知りたいという視聴者の需要があるからだと思う。つまり、人は何かに共感した時、ファンになった時に、その人の生い立ちや過去の経験が知りたいと感じる。なので「私は現在、社会人2年目の23歳です。」だけの情報ではなく、この23年間の人生を見ていただくことで、少しでも私に親近感を持ってもらえたら嬉しいなと思います。


人生のターニングポイント1:圧倒的な基礎体力が出来上がる

私は北海道で産まれ、きょうだいは姉1人、妹2人がいます。家の中はいつも賑やかで、動物園のような騒がしくも明るい環境で生活をしていました。3歳から水泳を始め、将来の夢は「オリンピックに出ること!」と家族には公言していたそうです(あまり記憶にはない笑)。

幼少期のころの性格を3つのキーワードで表すと、「目立ちたがり」「負けず嫌い」「自己中心的」がピッタリと当てはまります。学校のテストも、運動会のかけっこも、とにかく上位にいないと気が済まない性格でした。唯一の良いところは、正義感が強かったところ笑。幼稚園で、上級生にいじめられている子を見つけて、「やるならこの子じゃなくておれにすればいいだろ」って助けたことがあるそうです。ちなみに、その時が最大のモテ期でバレンタインデーにはチョコを20〜30個もらった記憶があります(過去の栄光笑)。

小学生の頃は、とにかく水泳中心の生活でした。練習は週7回、1日5km泳ぐ毎日。練習が辛くてトイレに逃げたり、涙でゴーグルをいっぱいにしながら泳いでいたことを鮮明に覚えています。この時の厳しい練習によって、圧倒的な基礎体力が身につきました。

ちなみに、北海道の大会で優勝したときは、自分で賞状を学校に持っていき、校長先生から表彰してもらうほどの目立ちたがり屋でした(笑)。


人生のターニングポイント2:”相手に与える”ことの大切さに気がつく

おそらく9歳の時の出来事です。私の家族は、みんなアイスが大好きという共通点があります。なので、父がコンビニで家族の人数分のアイスを買ってきてくれて、じゃんけんで食べたいアイスを決めるのがよくある光景でした。

この日のじゃんけんでは、私が1番に勝ち、好きなアイスを選べる権利を得ました。いつもなら、自分の好きなアイスをすぐに選ぶのですが、この日はその気になれませんでした。なぜなら、妹が私と同じアイスを食べたいのを知っていたからです。私はアイスを選ぶ権利を、妹に譲りました。

この時に感じたのは、なぜか自分も嬉しくなっていたということです。食べたいアイスを選べたわけではないのに、妹が喜んでおいしそうに食べる姿を見た時、ものすごくハッピーな気分になったのを覚えています。自分の幸せだけを考えた選択は、自分しか喜ばない。しかし、相手を思いやり、お互いの幸せを考えた選択は、相手を喜ばせるし、自分もうれしい気持ちになる。このときに”相手に与える”ことの大切さに気がつくことができたと思います。

この日以降、家族でアイスのじゃんけんがあると、「最後に余ったアイスが俺のでいいよ」と言ってじゃんけんに参加しなくなりました。


人生のターニングポイント3:”やり始めることに遅い”はないと知る

中学1年生の冬、水泳を辞めることになった。様々な理由が重なってこの決断をすることになったが、最大の理由は、当時通っていたスイミングスクールが無くなることであった。

この日から、生きる意味を失ったかのように無気力になった。熱中していたものが突然なくなり、目標を失い、これからどうしようと悩む日々。そんな時に出会ったのが、柔道だった。父や妹が柔道のクラブチームに通っていたこともあり、試しに見学に行く機会があったのです。その日から、新たな生きがいを見つけて、柔道にのめり込んだ。

中学1年生の2月からクラブチームで練習を始め、中学2年生に上がるときには水泳部から柔道部への転部届を担任の先生に提出した。水泳一筋のイメージから一転して柔道着に白帯を巻いている姿に、周囲からバカにされることもあった。

部活を経験している人なら伝わると思うが、中学2年生から新たな部活を始めるということは、かなり厳しい現実があった。同期はすでに強くて、到底勝てるわけもない。そこから、一つ下の後輩と基礎的な練習をする日々が続いた。

でも、とにかく悔しかった。同期にも一つ下の後輩にも、負けることが許せなかった。私は入部してすぐに、「中学3年生までには一番強くなる」を決めて、その日から1つ1つの練習を大切に全力でこなした。中学校の部活を放課後~18時半までやり、そのあとクラブチームの練習に途中参加させてもらって、19時半~21時まで練習した。その結果、部内戦で勝つことができ、各校から1人が選出される北海道大会に、学校代表として出場することができた。

この経験から、”やり始めることに遅い”はないと知ることができた。


人生のターニングポイント4:チームで成果を上げることの大切さに気がつく

中学2,3年生のころ、合唱コンクールという行事があった。各クラスごとに合唱をし、音楽の先生や教頭先生が採点をつけて、順位がつけられるというもの。このとき私は学級代表をしていたこともあり、指揮者や伴奏者とともにクラスを引っ張っていく立場となった。

しかし、なかなか思うようにはいかない。自分だけがどんなに練習をしても、クラス全体のたった一部の成果にしかならないのがすぐにわかった。今までの私は個人競技をしてきて、「自分の成果=結果」の世界で生きてきた。ところが、今回の場合は「クラスの成果=結果」が求められている。

このことに気づいた時から、周囲の人がどうやったら行動し、1つにまとまるかを考えるようになった。1人1人と頻度を上げて、平等にコミュニケーションを図ることを心がけた。一人一人の価値観に共感しつつも、全体の意見を伝えることは非常に難しかった。各リーダーが協力し合って声をかけ、クラスメイトも全力で協力してくれた。もちろんやりたくなかった人もいるだろうし、歌が苦手な人もいる。それでも全員がクラスのために協力してくれた。

その結果、クラスで2連覇を達成することができた。チームで出した結果は、一人で出す結果よりも、何倍も嬉しかった。みんなで喜びを分かち合うことはこんなにも素晴らしいのかと感じた。

この時に、チームで成果を上げることの大切さに気がついた。


人生のターニングポイント5:父の偉大さを知る

私は高校でも柔道を続けた。高校でも始めは練習についていくのがやっとで、両腕・両足・腹筋を同時につったこともあった(死んだ魚みたいになってた笑)。また、体重制限がない団体戦のために2カ月で10キロ近く体重を増やしたこともあった(ただのデブ笑)。

そんなある日、部活の練習中に肩を脱臼してしまい、全治6か月のけがを負った。その時に助けてくれたのが父である。私の父は整骨院を経営している。肩が外れたこの日も、学校から父の整骨院に直行して、腕をはめてもらった。

人生で初めて大きなけがをした私は、手術により体に管が貫通していて、片手が使えず、ご飯を一人で食べるのもやっとの状態だった。体に不便がなく生活できる日常が、どれだけ恵まれているのかを感じることができた。と同時に、多くのけがで苦しむ患者さんを救い続けている父を心から尊敬した。

この時に、父の偉大さを知ることができた。


人生のターニングポイント6:自分から行動することの大切さに気がつく

大学2年生の夏ごろ、成人式が近づいていた。周りの友達からは「同窓会の案内がきた」という声が上がる中、私には何の連絡も入っていなかった。そこで、地元の友達たちに連絡を取ってみるとどうやら誰も企画していないようだった。一方で「同窓会やりたい」という声は多く上がっているのを知って、「開催を待つくらいなら自分で始めたほうがいい」と感じて早速行動した。

中学時代から仲のいい5人グループに「俺らで同窓会企画しよう」と声をかけるとすぐに協力してくれた。1からの企画はかなり大変だった。グループの1人がイベントの企画経験があったので、ほとんどの準備を彼が主体的にしてくれた(彼がいなかったら同窓会を開催することはできなかった。感謝しかない笑)。私は参加者を呼び集めることに専念した。一人で約200名に連絡するのは効率が悪すぎるので、各クラスに同窓会の担当者をおき、クラスごとに集計してもらうことにした。こうしてどんどん協力してくれる人が増えていき、当日を迎えた。

同窓会が始まると100名以上の人+当時の先生たちもいた。みんなが楽しむ様子をみて、企画してよかったなと心から思えた。と同時に、もし行動していなかったら「みんなの懐かしく楽しむ様子」や「みんなの笑顔」を見ることもできなかったなとも感じた。

この経験から、自分から行動することの大切さを学んだ。


人生のターニングポイント7:多くの人に感謝することの大切さに気がつく

私は神奈川県の大学に進学し、柔道を続けました。高校の柔道部では、団体戦で全道大会に出場することができ、大学の柔道部では主将を務めさせて頂き、チームで神奈川県2位、関東大会2部で3位の成績を残すことができました。

これら2つの結果を残せた要因は、数多くあります。まずは監督・コーチの存在。自分の休日をすべて部活に費やして、技術面だけでなく、人間性も育ててくれました。

そして、チームメイト。お互いに切磋琢磨して、時には激しくぶつかり合い、時にはバカみたいにふざけ合ったりする刺激的な毎日。そんな仲間がいたから、ここまで継続することができたと思う。

そして、柔道に関わるすべての方。試合ができる環境や、大会を主催してくれる役員の方、支援してくださるOBの方など、多くの人によって支えられていることを学んだ。

この経験から、多くの人に感謝することの大切さに気がつくことができました。


人生のターニングポイント8:母の偉大さを知る

大学に入学し、部活をしながらアルバイトを始め、居酒屋のキッチン・柔道教室の先生・ブライダルのバー担当などを経験した。また、この大学入学と同時に始まったのが、1人暮らしである。身の回りのことをすべて自分でやらなければいけない状況になった。ガス・水道・電気・ネット環境の手続きや、食材の買い出し、料理・洗濯・掃除など、あらゆることを一人でこなしたときに感じた。

普段、当たり前に出てくるお弁当や晩ご飯・気づけば洗って畳まれている服・いつもきれいなお風呂や、トイレや、家の中。全部が当たり前じゃないことに気がついた。しかもこれを毎日、家族の人数分こなしている。

白い服とジーパンを一緒に選択して服をダメにしたとき、料理をして食材を余らせたとき、ふとした時に部屋の中が汚いときに、母の偉大さを知ることができました。


人生のターニングポイント9:自分がすべきことを知る

就職活動を通して、学生の頃より視野が広がり、社会に目を向けるようになった。多くの社会人と出会い、さまざまな自己啓発本を読む機会にもなった。

社会に出て働くということは、自分の時間や能力を提供して、その対価として給料がもらえるということだと思う。言い換えると、社会に提供した価値が大きければ大きいほど、自分に還元される仕組みになっている。この仕組みを理解したとき、私は社会により多くの価値を与えて、それによって多くの人を喜ばせたいと感じた。そのために知識を増やし、スキルを身につけて、自分の市場価値をどんどん高めていきたいと思うようになった。

自分が結果を残すことで、自分と関わってくれた人たちに恩返しをすることができるとも思った。自分の人間性や生き方が素晴らしいと、「親の育て方が良かったんだね」「柔道をしてる人は素晴らしいね」「過去の経験が今に繋がってるね」など、自分の過去の価値を上げることができる。関わってきた人たちを肯定することができると感じた。

また、身近な人ほど大切にすることが重要である。なぜなら、人生で一番長く同じ時間を過ごすから。家族や、将来の妻や子供のために、健康を維持し、体力をつけ、支えられるようになろうと思った。そして、社会に提供した価値の対価を、身近な人に還元していくことで、笑顔にさせてあげたい。

「社会に価値を、多くの人に喜びを、身近な人には幸せを」与える。柔道で培った「感謝の気持ちと謙虚な姿勢を忘れずに」行動する。そのために今すべきことは、自分の市場価値を高めつつ、健康を維持するという自己投資である。


人生のターニングポイント10:23歳で希少ガンを発症する

まさかだった。23歳と6カ月で突然のガンと宣告された。しかも日本では年間40人程しか発症しない希少ガンで、治療法も確立されていないことがわかった。発見した時にはすでに肺への転移もしていた。強度の高い抗がん剤治療と自分の幹細胞を移植する治療が勧められ、約1年間の闘病生活が始まった。この治療を乗り越えられたとしても5年後の生存率は約20%の病気。だからと言って”生きる"ことを諦めようとは思わなかった。できることはすべてやって、後悔なく死にたいと強く思った。それからは”人生には終わりがある”ということを強く意識して生きるようになりました。



最後まで読んでいただき、ありがとうございました。

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