とある8月31日くもりのち雨(母の日記)
朝から〇〇(※私)を連れて銀行へ。〇〇の定期を使う。◆◆さん(※私の祖母)〇〇ごめんなさい
■■(※私の姉)お昼来る
夫午後ゴルフの打ちっぱなし
〇〇についつい愚痴ばかり
ソラ(母が大好きだった愛犬)がいたら愚痴をこぼせるのに
支払いはどう思ってるの?
以上がとある8月31日の母の日記だ。
今思い返すと、結局、支払いのほうが大きくなっており、私のために祖母が昔から貯めていてくれた定期預金を崩し支払いに回すこともあった。
私が働いて作ったわけでもないお金。
一緒に銀行に行く際、決して私のお金とは言えないその定期預金を、母は私に対して本当に申し訳なさそうに崩していたことを日記を読みながら思い出した。
そのときに私はなんと声をかけたのだろう?
10年以上も前のため、今は正直思い出せない。
今ならなんと声をかけるだろう?
そう考えてもなかなか答えがみつからない時点で私は結局10年以上前から何も成長していない。なんなら、私のお金でなく、祖母が貯めてくれたお金があったその時私のほうが今の私よりも全然マシで単純に価値があるとも感じる。
そして、「ソラがいたら愚痴をこぼせるのに」と、いう文章。
結果的に私は母にとって気持ちが休まるような対応ができていなかったと感じる。
母の隣で体を寄せ顔を見つめながら話をジッと母の話を聞いてくれていたソラ。
ソラが母にしてくれていた対応に本当に感謝したい気持ちとともに自分の情けなさに涙が出る。
もっとちゃんと話を聞いてあげればよかった。
今日も後悔ばかりだ。
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