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短編【タールの重さ】小説
壁も天井も真っ白な空間に小ぶりで上品なシャンデリアが三対。十人掛けの円卓が、三つ、二つ、三つ、二つと規則正しく交互に並べられ、その円卓には壁や天井と同じような真っ白なシーツが掛けられている。
卓上には十人分の皿とフォークとナイフとナプキンが円卓の縁に沿って綺麗な輪を描いて並んでいる。
披露宴に出席したのは四年前に従姉妹の妙ちゃんの時以来だ。
と栗本里佳子は思っている。社会人になって初めての披露宴は美大予備校時代の恩師、佐々木先生のハレの舞台だった。
二年ぶりに会った佐々木先生は、まるで別人のように新郎席に座っている。
佐々木先生は、ぼさぼさの髪と伸ばし放題の髭がトレードマークで熊のような体格で、まるでハリーポッターに出ているハグリッドのようなので、みんなからハグリッドと何のひねりもなく呼ばれていた。
だけど、いま新郎席に座っている佐々木先生はハグリッドではなくドカベンの山田太郎だと栗本里佳子は思っている。もちろん今年二十四歳になる里佳子がドカベンの主人公の名前が山田太郎だと知ってるわけもなく、それは後で調べて分かったことだ。
あの頃の佐々木先生の見た目は全体的に粗野だけど瞳だけは優しさに溢れていた。先生を好きになる生徒も多かった。男性、女性問わずに。
里佳子はタイプではないので完全に恋愛射程距離から佐々木先生を外していた。
その恋愛射程距離内で佐々木先生に標準を合わせていた里佳子の友人、三島杏里が喫煙所から戻ってきたのは新郎友人代表スピーチの最中だった。
「現金だねぇ」
「何が」
「タバコ」
「何よ」
「先生が結婚しちゃったから?」
「うっさい」
佐々木先生が煙草嫌いらしいという事を杏里に教えたのは里佳子だったし、佐々木先生がバトルロワイヤル・ゲームが好きらしいと教えたのも里佳子だった。
恋愛射程距離内に標準を合わせても一向に発射ボタンを押さない杏里に、里佳子はいつも世話を焼いていた。
お陰で杏里は高校三年生の時から隠れて吸っていた煙草をキッパリと止め、かわりにバトルロワイヤル・ゲームにドップリとはまっていた。
今はVRゲームとコンビニエンスストア『リトルエレファント』でバイトの日々。杏里は学生時代から『リトルエレファント』で働いている。
「まだやってんの?リトファン。長いね」
「一途だからね。アンタと違って」
「その言葉、アンタがここで言ったら怖いセリフ、ナンバーワンだよね。ちょっとタバコの匂いがキツいんだけど何吸ってるの?」
「なんでもいいじゃない」
「見せて」
何すんのよと言う杏里の言葉を無視して里佳子は杏里のバックから煙草を取り出した。
「ジャル、ジャルム…」
里佳子は黒と赤の二色のパッケージにDJARUM SUPERのロゴが入った紙箱の成分表示を読み上げる。
「タール40ミリグラム、ニコチン1.8ミリ……。心の重さがタールの重さって事でオーケイ?」
二時間の予定の披露宴はきっかり二時間で終わった。里佳子は彼氏に会うからと早々に帰った。
杏里は迷っていた。二次会に行こうか止めようか。
佐々木先生の幸せそうな笑顔をもっと見ていたい気持ちと。佐々木先生の横で幸せそうにしている女を見たくない気持ちと。
心の重さがタールの重さって事でオーケイ?
里佳子の言葉が的を射てムカつく。杏里はまだ十四本も煙草が残っているDJARUMSUPERの紙箱を握りつぶしてゴミ箱に捨てた。
そして自動販売機でタール1ミリグラム、ニコチン0.1ミリグラムのピアニッシモ・ペティル・メンソールのボタンを押す。
心を軽くして二次会に行ってやる。そして今日で吹っ切るんだ。
結婚式場の外はすっかり陽が落ちている。
三島杏里がフと吐いた煙草の煙の向こうに濃ゆい朱色の月が浮かんでいた。
⇩⇩別の視点の物語⇩⇩
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