短編【凡ての創口を】小説
「もう二十二年が経ってしまったのか」
墓前で一人の老人がつぶやいた。
想っていた事をつい口に出してしまい、それが少し芝居がかっている気がして老人は少し笑った。
時が怒りを忘れさせてしまう。
そのような意味の言葉を哲学者だか聖職者だかが言っていたことを老人は思い出した。
誰が言った戯言だったか。
しかし、二十二年の月日というものは笑顔をも引き出してしまうのも事実だ。
こうなってしまったら、もう、潮時かもしれない。
老人、栗本信玄は今度は心の中でつぶやいた。
二十二年前、信玄はまだ五十代の壮建な男だった。
腕の立つ大工で信頼のあつい男だった。
その年、当時七十五歳になる実母の突然の訃報に、心あらずのまま足場作業を行い不意に転落し三十余年の大工人生で初の大事故を起こし入院した。
幸い右足の骨折だけで済んだのだが、そのおかげで実母の葬式には出られなかった。
その入院中に信玄はさらなる悲報を聞く。
信玄の最愛の娘二人が何者かに殺されたと言うのだ。
それも惨たらしい方法で。
姉の栗本里佳子は師猪瀬川で妹の栗本亜里沙は廃墟となった製糖工場で、それぞれ違う場所で死体として発見された。
同時期に三人も身内を失った信玄は、なにがなんだか訳がわからなかった。
娘たちは性的暴行をされたというわけでもなく、金品を奪われたというわけでなく、容疑者も見つからず、事件は謎のまま風化していった。
いったい何があったというのだ。
娘たちの身に何が起こったというのだ。
その理由を探し続けた二十二年だった。
殺人事件に時効はないというものの今だに警察が捜査をしてくれているのかも分からない。
十年ほど前から事件状況の報告もなくなっている。
「あなた。お住職さま」
信玄は妻の声に振り返った。
「はじめまして。住職の大江義時です」
「どうも」
二十二年前、慌ただしい中、実母が眠るこの寺で二人の娘の葬儀を済ませた。
信玄が寺に訪れたのは、その時ただその一度きりだった。
以後二十二年間、墓前には立たなかった。
犯人を捕まえるまでは、娘たちの無念をは晴らすまでは墓前には立たない。
そう決めていた。
祥月命日などの各年ごとの法要法事は全て妻に任せていた。
信玄は、犯人を突き止めることだけを考えていた。
今は苦しくても時間が解決してくれるよ。
多くの知人がそう言って信玄を励ました。
その度に怒りが湧いてきた。
時が忘れさせてくれるだと!
そんな事はない!
絶対に!絶対に!
この二十二年間で住職が変わってたことは信玄も聞き知っていた。
信玄は住職の大江義時と会うのは今日が初めてだった。
ようやくいらっしゃいましたね。
と言いたげに大江は目尻を優しく細めた。
住職の大江は信玄よりも十は若いのだが日頃の節制の賜物かもっと若く見える。
「凡ての創口を癒合するのは時日である。と言いますが良く耐えてこられましたね」
凡ての創口を癒合するのは時日である。
信玄は思い出した。
そうだ、あの言葉は哲学者でも聖職者でもない。
夏目漱石の言葉だ。
「住職さま。どうして人は、恨みを忘れてしまうのですかね。この穏やかな気持ちはなんですか。やっぱり仏様の慈悲ですか」
「それは違うと思います」
「じゃあ」
「飽きたんじゃないのですか?」
「飽きた?」
娘達を惨たらしく殺され犯人を恨み続けた日々を、飽きたと?
そんな簡単に、そんな単純な一言で。
信玄は、他人事で余りにも配慮の欠ける一言に思わず口元を緩めた。
「本当に住職さまですか?」
「よく言われます」
大江は上品に薄く微笑んだ。
「お釈迦様の言われた『執着を捨てなさい』と言うことは、飽きなさいと言う事だと、私は思います。飽きるからこそ、前へ進める。飽きるからこそ、心穏やかになる。飽きるまで生きて、後は死ぬだけの人生。私は、そう思います。…さあ、二十三回忌の法要の準備が出来ましたので、参りましょうか」
信玄は薄々感じていた。
年々、事件に対する憎悪の気持ちが薄らいで行くのを。
それが恐ろしかった。認めたくなかった。
住職、大江義時の「飽きた」と言う一言で信玄は救われたような気持ちになった。
境内の桜は、とっくに散り終わっていた。
来年は妻と桜の花を見ようと、信玄は思った。
⇩⇩別の視点の物語⇩⇩
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