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短編【臨終タクシー】小説

深夜一時すぎ。
突然の電話の音に私は肝を冷やした
こんな時間から電話なんて最悪な事態が頭をよぎる。
私は急いで電話を取った。

「はい、大野おおのですが」
大野おおのさんですか、中央病院ですが、急いで来て下さい。奥さんが」

私は、電話を最後まで聞かずに家を飛び出した。
いつ呼び出されてもいいように、ここ一週間は余所行き格好で寝ていた。
私の妻は末期の癌で、いつ死んでもおかしくはない状態だった。
五階の部屋を飛び出し階段を駆けるように下ってマンションを出た。

私と妻が住むマンションは国道から少し奥まった場所にあり車の行き来がほとんどない。
なのでタクシーに乗るときは馴染みのタクシー会社に電話をして迎車してもらうのだが、急いで部屋を飛び出してしまったのでスマートフォンを持ち忘れてしまった。

病院から連絡があったときに確かに手に持っていたのに。
靴を履くときに玄関に置いてきてしまったのか。
五階の部屋まで一旦戻るべきか、それとも国道まで走って、その間にタクシーを見つけるべきか。

一瞬、戸惑っていると私の背後から強い光があたり、目の前のアスファルトに濃ゆい影ができた。
その影は私の影で光の正体は車のライトだった。
いつの間にか一台のタクシーが止まっていた。

私は咄嗟にそのタクシーに駆け寄った。
タクシーは無音で後部座席のドアを開け私はさも当然のように、そのタクシーに乗り込んだ。

「あの」
「中央病院ですね」
「え?あ、はい」

何故、解ったのかタクシーの運転手はそう一言いうと車を走らせた。
タクシーの車内は冷たく無臭だった。
無臭という匂いがあるのだなと、私は思った。

「あの、すみません実は妻が」
「危篤なんですよね。大丈夫、安心して下さい。そんな事よりも奥さんにかける最後の言葉を考えてて下さい」

運転手はそう言いながらタクシーを走らせる。
マンションから中央病院まで車を飛ばせば20分もかからない。
ましては夜中だ。信号にさえ引っかからなければ、もっと早く着くだろう。
しかし、この運転手は急いでいる感じがしない。
この運転の調子だと30分はかかってしまう・・・。間に合わないかもしれない。
私は何度か急いで下さいと運転手に言ったが、運転手は、大丈夫です、大丈夫です、と繰かえすだけだった。

私はタクシーの後部座席で、頭を抱えてしなだれた。
美佐江みさえ。待っててくれ。私が行くまで、持ちこたえてくれ。最後に、最後にお前と話がしたい。だから…お願いだから…行かないでくれ。

私は溢れ出る涙を必死で堪えた。この涙が一粒でも零れ落ちてしまったら、美佐江みさえが、遠い所へ行ってしまう。そんな気がしたから。

「お客さん。着きましたよ。急いで下さい。病室は513号室ですよ」

頭を上げると、いつの間にか病院についていた。
10分も、いや、5分も経ってはいないのに。

「急いで!」


私は、その言葉に後押されて美佐江みさえの待つ病室へ急ごうとした。
何度も何度も通ったあの病室へ。
美佐江みさえ、もう直ぐ、もう直ぐ逢えるから、だから、まだ逝かないでくれ!
だが料金も支払わずにタクシーを飛び出した事にすぐに気づき、私は後ろを振りかえった。

そこにはタクシーは無かった。


⇩⇩別の視点の物語⇩⇩

優しくキスをして


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