短編【街灯の明かり】小説
気がつけば40を越えていた。
いや、気がつかないフリをしていた。
というのが正しい。
小説家になりたい。
そんな事を百回以上口に出していたし千回以上心に描いていた。
それだけで行動に移すことはなかった。
ラジオを聴いた。
口のたつ陽気な芸人がいろいろな業界で活躍する“旬な”人をゲストに呼んで軽妙な語り口で彼らの魅力を引きだす。
そんなラジオ番組を何気なく聴いていた。
ホスト役の芸人が好きだったというわけでもなかった。
番組のコンセプトに興味を覚えた、というわけでもなかった。
ただ時間があいていた。
それだけだった。
丁度その番組が放送される時間帯はバイトの休憩時間に当たっていた。
ただ、それだけの事だった。
市の公民館の夜警の仕事。
公民館の周辺といくつかの部屋を見廻る足と懐中電灯を持つ手と眠気強い頭さえ有れば誰にでも出来る仕事だ。
最近は特に会話をする事もなくなった相勤者と交代で俺は休憩室に入った。
三畳あるかないかの畳部屋に年季の入った座布団と薄い毛布。
ただそれだけがある部屋。
室内の電灯は付けない。
窓から差し込む青白い街灯だけ充分だ。
その方が落ち着く。
そしていつもの様に携帯ラジオを取り出す。
ゲストに呼ばれた男は小説家だった。
【明日は昨日の二日後】というふざけたタイトルの小説が映画化された。
その告知を兼ねてのゲスト出演だった。
ゲストの小説家はホストの芸人のファンだと言った。
芸人が駆け出しのころ始めたラジオを聴いていた。
80年代のコアなカルチャーに的を絞ったネタにゲラゲラ笑っていた。
その芸人が出演していたライブを観に行って客が自分を含めて五人しかいなかった。
そんな話で盛り上がっていた。
とにかく褒めちぎる小説家に気分を良くした芸人はいつも以上に饒舌だった。
イライラした。
普段より高いキーで笑っている芸人。
そんな芸人に世辞を言って持ち上げる小説家。
芸人のくせに太鼓を叩かれて舞い上がってるんじゃねーよ。
という理由が扁桃体を刺激している訳ではなかった。
小説家の声が若かったからだった。
二十代か三十代か。
とにかく俺よりははるかに若い声だった。
若い言葉遣いだった。
それが気に障った。
大学の文学部出身で二十代で文壇にデビュー。
いくつかの文学賞を獲り、それ以上に候補に選ばれ。
いくつかの作品は映像化を果し。
それでいて威張ることなく気さくな庶民派を装っていて女性のファンも多い。
その中の幾人はセックスだけの関係もいるのだろう。
そんなストーリーを勝手に作り上げてラジオのスイッチを切ろうとした。
休憩時間が終わるまではまだ20分以上も時間がある。
だがこんな下らないラジオを聴いて過ごすよりは目を瞑って寝転んで無駄に時間をやり過ごした方が遥かにマシだ。
そう思った。
ラジオの電源スイッチに触れた人差し指を止めたのは芸人の一言だった。
「でも45歳で作家デビューって」
遅いよね、と芸人は言った。
45歳で作家デビュー?
俺よりは3つ年上なのか。
作家は、はい。
と笑って答えた。
でも、本当は一度デビューしてるんですけどね。
まあ、でも、今回が本当のデビューです。
と、新渡戸耕作と名乗った小説家はラジオの向こうではにかんで笑った。
40過ぎて再ブレイクか。
このとき初めて休憩室に差し込む明かりが外灯の明かりではなく満月の光りだと気づいた。
どこかで俺と同じようにあの月を眺めている人がいるのだろうか。
満月は淡黄檗に輝いていた。
⇩⇩別の視点の物語⇩⇩
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