短編【朝顔と紅葉】小説
わりと早い時期から結婚をしようと私は決めていた。
浅河尾紅葉という名前が恥ずかしかったからだ。
まるで程度の低い小説家の程度の低い小説に出てきそうな安易な名前だ。
なんて事を言うと友人たちは、そんな事はないと言う。
確かに文字で書くと綺麗な名前だとは思う。
それが音になると、途端にお気楽な名前になる。
病院などで
「あさがおさーん、あさがおもみじさーん」
と呼ばれた時の恥ずかしさ。
お笑い芸人の芸名のようなお気楽な調べ。
浅河尾、という姓は元は平藤房に連なる家系らしく源平合戦で敗れた平藤房が下野国の浅ヶ丘に落ち延びてそこで集落を開いたのが起源だと、一昨年亡くなった祖父が言っていた。
浅ヶ丘から、いつしか浅河尾になったんだと。
誰だよ!浅河尾に変えた奴は!
浅ヶ丘で良かったのに!
気になって平藤房という御先祖様をネットで検索してみたら本当に実在したのか分からない人物だった。
そんなこったろうと思った!
そういう理由で、とにかく私は早く結婚したかった。
苗字を替えてしまいたかった。
この事は私の恋愛観にも大きな影響を与えていた。
男性を選ぶ基準がルックスでもなく、財力でもなく苗字。
性格の良さでもなく地位でもなく苗字。
紅葉という名前に合いすぎない苗字。
似合わないではなく、合いすぎない苗字が絶対条件だった。
高校三年の春、私は学年で女子人気ランキングのトップスリーに常に入る重明クンに告白された。
学力は中の下だったけど手足がすらっと長い高身長で涼しげな瞳、高く綺麗な鼻、引き締まった口元。
そんな山野重明クンの告白を即座に断った。
結婚したら山野紅葉になってしまう。
山野姓は紅葉にぴったり合ってしまう。
今思えば高校生の恋愛だ。
結婚まで続くわけがないのだけれど、当時の私は『山野紅葉』という狙いすぎた名前には絶対に避けたかった。
少しでも、そうなる可能性があるのなら断固阻止したかった。
二十一歳の時、お料理学校に通っていた。
そこに四十歳の離婚歴のある男性が受講してきた。
国産VRヘッドギア『プセブデス・プロ』の開発・運営をするベンチャー企業の開発部長だった。
何度か食事に誘われたけど、もし告白されたら即座に断ろうと決めていた。
彼の名前は赤井康治。
結婚したら赤井紅葉。
ぴったり合いすぎている。
やっぱり告白されて、私はそれを断った。
山野クンも赤井サンも、スペック的には申し分のない素敵な人たちだったのに。
結局、私は名前重視でお付き合いする人を決めた。
ぜんぜん好きな顔じゃ無いけど、お付き合いした一ノ瀬康隆サン。
結婚したら、一ノ瀬紅葉。
いいじゃない、いいじゃない。
でも顔が生理的に無理だった。
お金と時間にだらしが無い長谷川賢一サン。
結婚したら長谷川紅葉。
いいじゃない、いいじゃない。
だけどストレスフルでお付き合いする前から無理だった。
そして半年前。
まるで程度の低い小説家の程度の低い小説に出てきそうな安易な展開が私に訪れた。
私が勤める歯科クリニックと取引をしている歯科医料機器メーカー【ケミカルトゥース】の新しい担当者として、彼が訪れた。
彼の名刺を見た私は、この人との恋愛は絶対にない!と心に固く誓った。
だけど、もんのすごいタイプ!
彼の顔を見るたびに心臓が破裂する。
何度か話をする度に彼の人となりが分かり、ますます……好きになっていった。
でも、名前が!嗚呼!名前があ!
彼も私のことを好きだと言ってくれた。
その告白に宜しくお願いしますと私は返事をした。
もういい!
結婚だ!結婚!
好きになっちゃったんだから仕方がない!
彼の名前は茂見路朝顔。
わはははは笑っちゃう!
結婚したら茂見路紅葉。
彼が私の姓に入れば浅河尾朝顔。
どわははははは!
流石に夫婦別姓で話はついた。
私は明日、ウェディングロードを歩く。
浅河尾紅葉。
いい名前じゃないか。
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