短編【小説を読まぬ大人の成れの果て】小説
「鷲見泉、あの小説な。少し書き直してくれないかな」
職員室に呼ばれた鷲見泉勇人は担任であり歴史教師でもある白石忠文にこう言われ、反射的に
「どうしてですか。嫌です」
と言った。
「うん。わかる。そう言うと思った。だけどな鷲見泉。あの小説は学級新聞にはふさわしくないと先生は思う」
勇人が通う私立汝自知学院附属中学校では二年生になると年に二回、学級新聞を創ることになっている。
それは大きめのケント紙に色鮮やかな油性マーカーで書くような学級新聞ではなく、かなり本格的に製本された冊子形式の学級新聞だ。
生徒たちはそこに学園生活で学んだ事や自分の得意分野を発表する。
ある者はイラスト。
ある者は短距離走の記録。
ある者は独自のプログラミング言語。
もちろん小説を書く者もいる。
鷲見泉勇人もその一人で学級新聞に一本の短編小説を提出した。
短編小説のタイトルは【空飛ぶマリー】
フランス革命に翻弄されたマリー・アントワネットが斬首刑となりギロチンで首を落とされるまでのスケッチ小説だ。
「マリー・アントワネットがな、ギロチンにかけられる時に顔を上向にしてって書いてあっただろ。
あれがな」
歴史的には正しくない。
と歴史教師の白石忠文は言う。
たしかに、マリー・アントワネットが死刑執行人のシャルル・アンリ・サクソンの足を踏んづけて、その怒りをかい落ちてくるギロチンが見えるように仰向けにされたという話はある。
けれど記録にはない。
「先生。僕が書いたのは小説です。事実がどうかとかは関係ありません。僕にはそんなジャーナリズムなんて微塵もありません」
「でもなあ。こんな事を書いて、本当のことだと思う人も…」
そんな奴は馬鹿だ。
小説を読んで本当かどうか知りたいなら、ちゃんと調べるべきだ。
この人は小説を読んだことはないのか?
口には出さないが勇人は、そう思っている。
「それとな、マリー・アントワネットの首が落とされる描写がな、ちょっと、なんて言うか、ねちっこくないか?頸動脈がどうとか脊髄がどうとか。『マリー・アントワネットの首は落ちました』でいいんじゃないのか?一行で済むのをあんなに細かく」
分かってない!
その一瞬の描写を細かく書くことに、いや、描くことにあの小説の意味があるんだ!
なんだったらもっと細かく描きたいくらいだ!
そう思い勇人は軽く下唇を噛む。
「まあ、でも最後のまとめは良かったな。なんだったかな」
白石は勇人が書いた【空飛ぶマリー】の原稿用紙を取り老眼鏡をかけて読んだ。
「ええと…『そして現代。我々はネットで人の首を切り溜飲を下げている。』…うん。これは、いいな。風刺が効いている」
それこそ、どうでもいい!
あれは、そういうふうに書いておけば何となくいい感じになるだろうという打算で付け加えた文章だ!
そんな事よりも、マリー・アントワネットが死ぬ間際に見た鳥が鷹ではなく鳩だった、しかもその鳩にマリーは気づく事が出来なかった、というところに意味があるんだよ
鷹は権威の象徴!
鳩は愛の象徴!
マリーはその愛に気づくことはなく…。
だけど先生は、そこには全く触れない!
もしかして行数稼ぎの文章だと思ってるんじゃないのか!
「まあ、とにかく、書き直してくれ。あのままじゃあ学級新聞には載せられない」
鷲見泉は【空飛ぶマリー】の代わりの小説を、たった一夜で書いて提出した。
それはノベル・リテラシーの低い教師が生徒の書いた小説を理解出来ずに書き直しを要求するという内容の【小説を読まぬ大人の成れの果て】という短編小説だった。
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