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短編【シュガーポット】小説


どうしようもない女よ。それが彼女の口癖だった。

私は今、バヌアツ共和国の小さな島にいる。オーストラリアの東側、フィジーとニューカレドニアの間に浮かぶ小さな島、タンナ島の小さな宿にいる。

その安宿からは黒い岩肌を剥き出している大きな山が見える。ときおり灰色の煙を吐いているその山は今も生きている。

ヤスール火山。活火山だ。

あたしね、死んだら火山に投げ捨てて欲しいの。彼女は唐突に、そんな事を言う人だった。

遺骨をね、風に撒いて欲しいって言う人がいるでしょう?海に撒いて欲しいって言う人もいる。

あたしはね、火山。火山に投げ捨てて欲しいの。
遺骨じゃなくて身体ごと。あたしらしいじゃない?だからね、お願い。あたしが死んだら、この身体ごと。

そこまで言わせて私は彼女の唇を唇でふさいだ。そんな事を言って欲しくなかった。そして火山なんかより熱いキスをした。

それが最後のキスだった。

彼女が死んだのは次の日だった。

私は薄めの化粧をしてスーツを着込んで出社した。隣で寝ている彼女を残して。彼女の可愛い寝顔を見た後、玄関を出た。

定時に会社を出てアパートに戻ったら。

彼女が揺れていた。

それ以降の記憶があまりない。泣き叫んだのか。意外と冷静だったのか。どうやって警察に連絡したのか。気がついたら彼女は火葬場で焼かれていた。火葬場には私と斎場の係の人しか居なかった。

あたしね、死んだら火山に投げ捨てて欲しいの。

私は真っ白な姿になった彼女を見て遺言になってしまったあの言葉を思い出した。

それで、ようやく私はしっかりと泣いた。しっかりと意思を持って声を上げて泣き崩れた。係の人が慌てて私を支えてくれた。男の人で良かった。女の人だったら、きっと抱きついて、いつまでもいつまでも泣き疲れるまで泣き続けたかもしれない。

もう観光シーズンは終わりかけていて安宿の周りは閑散としている。私は今日のスケジュールを確認した。ヤスール山の火口までの登山は午前十時からだった。

どこまで火口に近づけるのだろう。私は彼女が入っている陶器のシュガーポットを愛おしく撫でてからリュックに詰めた。私はこのシュガーポットをヤスール山の火口に投げ入れるつもりだ。それが彼女の願いなのだから。

四天王寺の骨董市で手に入れたシュガーポットを彼女はマニキュア入れに使っていた。彼女の骨を入れるなら、このシュガーポットしかないと思った。

白地に薄い藍色の花弁模様が散っている陶器のシュガーポット。

気性の激しい人だったけど身の回りに置く小物はどれも可愛らしかった。

粉骨になった彼女を入れるためにシュガーポットからマニキュアを取り出したとき、私が無くしたお気に入りのマニキュアが出てきた。

子猫がしでかした悪戯を発見したような気持ちになって、私は少し笑った。

余命三ヶ月。彼女の癌が思いのほか進行して、もう手の施しようがないと医師に言われたとき私たちは朝まで泣いた。

余命二ヶ月を残して勝手に旅立った彼女を私は本気で恨んだ。

だけど今はあの死に方で良かったのかも知れないと思う。

でも、もっと綺麗な方法はなかったの?首吊りなんてらしくない。それほど思い悩んでいたの?本当に、貴女は。

どうしようもない女ね。

もうすぐ十時。私は彼女と一緒にヤスール火山を登るために登山口へ向かった。

シュガーポットの陶器の肌は彼女の首筋と同じくらい滑らかだった。

火口についた私はシュガーポットを投げ入れた。彼女はマグマの中に消えていった。その瞬間、竜の様な猛々しい火柱が噴き上がった。

さようなら杏奈あんな


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