「俺は今、未来にいる」と思ったウォークマン

新型コロナ騒ぎでジム通いが怖くなり、有酸素系の代替トレーニングで週イチ、ジョギングをしている。

「Runkeeper」というスマホアプリが、節目の距離や時間がくると音声でスプリットタイムを教えてくれる。それを確認するためイヤホンを装着するので、それならばと音楽を聴きながら走っている。聴きながら走りながら、時々思い出すのは、人生の中で「俺は今、未来にいる」と感じた瞬間のこと。
そんなことはあの時だけだった気がする。

ぼくは若い頃から、音楽談義に参加するようなタイプではなく、上京して知り合った仲間の語るあれこれに、なるほどなぁとぼんやり刺激を受けていた。

1979年、大学2年生のときにソニーがウォークマンを発売したのだが、もちろん興味はあったけど、価格は3万3000円(Wiki情報)。そこまで自分の生活に音楽を連れていきたいとは思っていなかった。

その時の状況はきちんと覚えていないのだが、夜、新宿の街を歩いている時、仲間の一人が「聴いてみな」とウォークマン貸してくれたのだ。ウォークマンにはカセットテープ(!)が入っていて、彼はデヴィッド・ボウイが好きだったけど、その時に聴いた曲が何だったかの記憶はない。

ただ、イヤホンを耳に差してプレイボタンを押した時に、得体のしれない感情が押し寄せてきた。それが、「俺は今、未来にいる」という感覚だったのだ。

ネオンがきらめき、多くの車や人がいつものように行き交う街の景色が、音楽が聴こえはじめた瞬間にまったく違うものになった。タイムスリップをしたような、この世のものとは思えない不思議な感じがぼくを包んだ。その時に心の中に広がった景色や思いは今でも、はっきりと覚えている。

その後も、音楽への距離感は学生時代とは変わらない。音楽は好きだけど、音楽がない人生なんて、とまではいかないままである。

今、走りながら音楽を聞いているけど、それはどちらかというと、退屈さや辛さから気を紛らわしてくれるもの。こだわりをもって選曲したようなものではなく、ブラジルの大河を社名にした会社のサービスが用意したプログラムがほとんどだ。

でも、時々、記憶が蘇ってくる。「俺は今、未来にいる」と感じたあの時が。

ぼくにウォークマンを貸してくれた仲間は、七年前に亡くなってしまった。ぼくは彼が貸してくれたウォークマンより、はるかに使い勝手の良いスマホから流れる音楽を、適当な気持ちで聴きながら走っている。

でもふとした瞬間に、ぼくとあの時の気持ち、そして亡くなった友だちを思い出すことができる。それは、うん、悪くない。

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