【なんとかなる精神】

この精神は私にとって大切な考え方の一つです。いつも心の奥底で思っていることです。
とても辛いことがあったり、もうダメかもと思うことって一度はありますよね?
私もそう思ったことはあります。
でも、そのたびに何とかなる、何とかなると繰り返し心の中で唱え、前向きに考えを置き換えてその状況の乗り切ってきました。
今回お伝えしたいことはこの考え方がいいということではなく、なぜ私がこのような考え方ができるようになったルーツについてお話したいと思います。

【この話は私の幼少期の話です】
私は男兄弟の末っ子で、母親、父親はスポーツをずっと学生時代やっていたこともあったのでとても厳しい家庭環境で育ちました。(しつけが厳しく殴られることは普通でした笑)
兄貴は小さいながら優秀で勉強もスポーツもでき両親に怒られることはほとんどありませんでした。
私はスポーツはできましたが、勉強は嫌いであまりせず、そこそこって感じでした。
兄弟で比較されることは当たり前で母親の口癖は「お兄ちゃんと違ってあなたは~」でした。
私は小さいながら比較されることがとても嫌でいつも反抗的な態度を取っては親に怒られていました。
ここで重要なのは比較されることが辛かったのではく「兄に比べて愛されていない」と感じていたことでした。
ここまでの話だけではなぜ「なんとかなる精神」なのかと思いますよね?
そんな私には救世主がいました。それはおじいちゃんの存在です。
おじいちゃんだけはいつも「浩二はすごい子だよ 偉いね」と私に言ってくれました。
兄貴は病気がちなところもあり、よくおじいちゃんのところに行っていたこともよい影響でした。
私はおじいちゃんがいなければ「なんとかる精神」を持つことはなかったと思います。
ずっとできない、兄貴と違って私はダメな子と塞ぎこんでいたと思います。
そんな救世主おじいちゃんのいつもかけてくれた言葉のおかげで私は自分はすごい子なんだと勘違いして
何事に対してもなんとなる、なんでもできると思えて今に至っています。

【まとめ】
言葉の力ってすごいなって思う幼少期のエピソードから自分の「なんとかなる精神」のルーツのお話をさせて頂きました。
この「なんとなる精神」のおかげで私は何事も挑戦してみようと思えています。
挑戦してダメだったり、辛くなったりしたらいつもの「なんとかなる精神」の発動です笑
これでいいと思っています。これを繰り返していくと最後には全て何とかなってます。

【最後に】
幼少期を想い出すといつもおじいちゃんのことを想い出し感謝の気持ちで溢れます。
そして、私を厳しく育ててくれた母親、父親と良きライバルだった兄貴にも感謝しています。
私も家庭も持つことになったらおじいちゃんが言ってくれたみたいな言葉を自分の子供にかけていきたいと思ってます。
もっと言うとおじいちゃんみたいな存在で在り続け、人と関わりたいと思っています。
少し胸が熱くなる幼少期の自分の「なんとなる精神」のルーツのお話でした。