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最初は「インターネットは流行らない」と思っていた。だって、ビル・ゲイツもそう思っていたし。

自分にとって、インターネットと出会った時点で、もうネットサービスのビジネスの世界に飛び込んでいた。でも最初は「インターネットは流行らない」と思っていた。後述するが、あのビル・ゲイツも最初はそう思っていたからだ。そのあたりの思い出を今回は書いてみることにする。

1995年2月

先日こんなツイートをした。

1995年2月にこの「GAME BUSTERS」というネットメディアの立ち上げのため、アルバイトとして運営会社に入った。ツイートで書いてある通り、その時点ではパソコン通信のメディアであり、この時点ではインターネットを触るどころか存在もちゃんと知らなかった。

※ちなみに2年後の1997年春には正社員としてこの運営会社に入社した。

1995年夏

インターネットの存在を知ったのは多分この時期だと思う。でも、インターネットに接続するのはもう少し先だった気がする。

当時、インターネットがビジネスになるかを「GAME BUSTERS」の中で議論したことがあった。そしてその時は「ならないだろう」という結論になった。その理由は次のとおりである。

1)パソコン通信の場合、回線接続に対して従量課金というビジネスモデルになっており、パソコン通信内のコンテンツの収益は回線接続料から出す形になっていた。一方でインターネットは回線接続とコンテンツ提供はそれぞれのプロバイダで、回線接続料をコンテンツ側に回す仕組みがない。つまりコンテンツを提供しても収益を上げる手段が無かった。

2)当時はWindows 95の発売を控えた中で「microsoft network」というネットワークサービスをマイクロソフトが立ち上げる話があった。このネットワークサービス、実はマイクロソフト版パソコン通信サービスであり、回線接続料をサービス内のコンテンツに回す仕組みがあった。そして「GAME BUSTERS」もこのネットワークサービスにコンテンツ提供するオファーがあった。

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ということで、Windows 95の日本発売の同年11月下旬には「microsoft network」でも「GAME BUSTERS」を開始したわけでした。

1996年春

ところが年明けになると、状況は急速に変わり始める。

まず「microsoft network」が早々とインターネット接続サービスを始める。知っている人も多いがビル・ゲイツは最初、インターネットの普及を疑問視していた。だからこそ、Windows 95リリースの時点で自社のパソコン通信サービスを始めた(しかもクライアントソフトがWindows 95にデフォルトで入っていた)わけだが、リリース直後にインターネットへの認識を180度転換してしまう。その結果、1996年以降は怒涛の如くインターネットを取り込む戦略になってしまった。

また、個人向けインターネット接続サービス(プロバイダ)も充実し始めていた。日本のホームページも増えていたが、それ以上に海外のホームページが爆発的に増えていた。パソコン通信では知りえないコンテンツも、インターネットならタダで見ることができた。

そんなこともあり、この頃には会社の接続回線を使ってインターネットにアクセスし始めた。最初はAltaVistaとかで検索していたが、4月にYahoo! Japanが立ち上がると、カテゴリページからいろいろなページへアクセスするようになった。

「GAME BUSTERS」もインターネットでコンテンツを提供せざるを得ない状況になり始めていた。理由は、パソコン通信の斜陽化である。もちろん斜陽化を進めた元凶はインターネットであり、無限にコンテンツが増える、そして異なる接続サービスを使っていてもメールやBBSでコミュニケーションができるインターネットを前に、パソコン通信は徐々に力を失っていたのだ。

結果、「GAME BUSTERS」はまず、インターネット上で有料のメールマガジンサービスを始める。(春はテスト期間で、本サービス化は夏から)当時、インプレスのInternet Watchなどがこのモデルで収益を上げており、これと同じことを始めた。そしてメールマガジン申込ページと併せて、ウェブサイトも立ち上げたのだった。もうこの時点でニュースは無料で読めるものになってしまったのだ。(なぜなら、有料のメルマガはあくまで無料ニュースのまとめであったから。まだ定額接続の時代ではなかったので、一旦メールで受け取ってオフラインで読む・・・というのが成立していた時代だった)

1996年夏

パソコン通信でもコンテンツサービスは続けるも、インターネット向けのコンテンツサービスも続けざるを得ない状況だった。

そんな中で「GAME BUSTERS」は、各種ゲーム展示会のリアルタイムレポートを始めていた。これは当時かなり画期的なことで、ゲーム雑誌で1~2週間後でないと知りえない情報がその日のうちに読むことができたのである。

8月には1回目の東京ゲームショウを、11月には前年から始まったPlayStationExpoをリアルタイムレポートした。こうした即時性の面白さは、自分がその後仕事をしていく際の大きなモチベーションでもあった。

1996年冬

そして、この頃にはパソコン通信サービスもインターネット接続サービスを始めるようになっていた。その流れで、自分も自宅からインターネットに接続するようになった。

これが自分にとっての #はじめてのインターネット の話である。

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