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昼あんどん

 うちに帰ってからPCでXにnoteという「闇稼業」、もとい、息抜き。そして夜は更けていく。朝シャワー倒すという悪循環……。人々に紛れて悪さを働く悪党どもを闇に裁いて始末する、南無妙法蓮華経。あ、違ったかな?

 そういえば、私の頭の中から義憤とか怒りとかが突き上げなくなって、どれぐらい経つだろうか。電車に乗っていても、子供の嘘泣きや(毒)親の折檻を見聞きしても腹の底から煮えくり返るものを感じなくなった。薬で抑えているせいもあるのだが、私が子供の頃、半世紀ぐらい前までは大人達は老いも若いももっと熱かったような記憶がある。

 私の亡父も熱い人だった。そのまま裸火のトーチを持って平成期の冷めたグループのオフ会に私が持ち込んだものだから、ものすごいトラブルになり追い出された、干されたことを思い出す。嫌がらせのエロメール攻撃を受けて彼らの目の前からは姿を消さざるを得なかった。

 そして平成期の半ば、適齢期に入退院を伴う統合失調症を発症。いろんなものを失った。友達のフリをしていた人達、片想いの人、幻想の婚約者、嘱望されていた未来、それにそれまでの友人一切。物心ついてからの他人なんてそんなものだったのだ。

 苦しみ抜いて残った仲間がホントの友達。今のピア活動の仲間はそうだ。同病の人々にしか分からない苦しみ、悲哀というものがある。なかにはパートナーと離縁という人もいる。私は未婚だがキャパシティにも限りがあるので、パートナーはいなくてもいいのかな?と最近は思う。

 人は世に連れであって、かつて熱かった世代は一部の高級クラブの集いを除けば、世に適応するため、私たちはひとつだの絆だの訳の分からないことを口走りながら東日本の震災被害に遭った他人の不幸を口実にして、冷めたマジョリティと成り下がってしまった。その結果、車内の不品行を咎める大人、社会人は皆無となった。薬を飲んで抑えている私も偶々おとなしくしているだけ。何も感じなくなったわけではない。むしろ心の中で叫んで、お客様トラブル対応のお世話にならないようにしている。どうだ、といいたいところだが情けない限りである。

 今回の震災についても新聞では月が変わってから漸くのところ、やっと政府に怒りをぶつけるという忖度マシマシの、初動の遅さに歩調を合わせた格好になっている。検察の体たらくとかパ券とか新聞記者は発禁を恐れているのか。明治時代の人達と比べれば何とも今は気骨において情けない限りである。

 さあ、こんなところで毒づいてもしょうがないけど書かざるを得ないと思う。平成バブルからいろんなところで社会の経年劣化が進んできたように思うのは私だけか。ノスタルジーと呼ばれても文句はいえないけど、遅れ遅れてバブルについて行き損ねて超氷河期世代やZ世代と同じ空間に生きていて、やっぱり現与党のやってきたことには怒りを禁じ得ない。

 それでもってこの「闇稼業」である。許せ。

2024/02/02 ここまで

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