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2024/07/20 墓参りに行ってきました
久しぶりにうちの墓所へお参りに行ってきました。
思えば父親を亡くして9年経ったのですね。
どこまで行っても父と子(私)との関係は切れることがありません。それは、それぞれ、依存される側と依存する側の関係に見えます。
でも、何だかんだ言っても親がいなければ子もいない訳で、その時点で親に恩を感じなければならないと私は最近思うようになりました。
両親と子の関係は、子が大きくなっても子が独立してもどこまでも続くのです。それは呪詛を意味するのではなく、陰になり日向になり私たち兄妹を見守ってくれてもいる事への恩を感じなければというところなのです。
報恩というには、親の恩、国土の恩、師の恩、ご先祖様の恩を知らなければならないといいます。うろ覚えですが変なところがあればご指摘ください。
それ以前は、私も妹も、特に威圧的な印象だった父親に反抗したものです。特に学校とかで嫌なことが続くと私なんかいなければ良かったのに、と親を逆恨みしたものでした。
私が就職してから20年ほどで父が亡くなり、私も職場周りの人間が、父の睨みが利いている間に手出しもできなかったくせに卑怯にも私を潰しにかかったのです。
私自身、何でも一人で独立心を持って片付けないと、と思っていましたがそれはある意味で間違いだったのです。亡くしてからではもう何もかも取り返しが付かないのですが、私の四半世紀にわたるクローズでの職業人生はそこでピリオドを打つことになりました。
母は存命ですが、私と妹一家だけになるときがいつか来てしまうのです。遅かれ早かれそれは親より長生きするなら免れない事です。
逆に親より先立つ事があれば、それは文字通り「逆縁」といい、順繰りに逆らうことになります。生きていればそうなる可能性もなきにしもあらずなのです。不慮の事故、死に至る病気、それらのいずれに関わらずです。
そう思うと親への恩は然る事ながら、この一瞬先の事すら私たち凡夫には分からないことなので、この一瞬一瞬をもう来ないものと思って過ごすことになると、今回の猛暑日の墓参であらためて思いました。
2024/07/20 ここまで
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