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「逆切れ」というコトバに切れてみる

 こんばんは。せっかくの雪の晴れ間なのに穏やかでない話題を失礼します。
 最近思う事には、ジョン・ロックの生存権、抵抗権には生物としての根源的な生存本能がなければありえないものがあると私は思うのです。
 その上で「キレる」(切れると同義語として)のは反逆を許さない強者の理不尽な論理や特権意識が見え透いているわけです。
 思えばそれは勧善懲悪という江戸の封建時代を背景にした、絶対主義的な弱者の蹂躙と権力者の安泰を暗示しています。社会の安定の基礎に据えて個人の尊厳を著しく制限する。これは現代日本と無縁ではなさそうです。
 同じく日本では江戸時代の中ごろに、ヨーロッパでは先程のジョン・ロックらが世に問うた思想の中には、生存権、抵抗権も含まれているわけです。これはのちのアメリカ独立戦争、フランス革命につながる伝統になり、人権思想が主流派を占める要因になりました。
 それはいかに他地域でヨーロッパ諸国が植民地主義を展開してきたことと矛盾しないか、という議論も本も出ているのでここでは省くことにする。他論に譲ってもなお、自由や人権は先人の努力と尊い犠牲によって現代の私達に引き継がれていることになっているはずである。
 それを踏まえても、若い人びと、特に育った環境に恵まれていない人びとほど、前時代的な勧善懲悪を口にする。自身よりも弱い立場の仲間を足蹴にして憚らない姿は、見たことのない江戸時代を彷彿とさせる。
 江戸時代は内と外の両面から崩壊していった。蘭学は弾圧されても勢いを落とさず、外様大名側から時の幕府への不満が噴出していた。相前後して海外からの学問にルソーらの思想も入って、この国の人びとも人権思想に接することになる。
 今次大戦中の人権抑圧に国民性を結び付ける議論もあるが、それを割り引いても自ら自由や人権を捨てていいというのは乱暴に過ぎると私は思う。ウクライナやイスラエルの紛争を傍目にこの国では何も起きず天下泰平というのも乱暴に過ぎるのではないか。おりからの低賃金に物価高、貧困の蔓延といいこれが自由と人権の国と呼べるか。とてもでないが児童の人権侵害を見ても周辺国よりもましだと言えない。
 こうした現況だから若い人びとに夢を持てというのは無責任だろう。正直、暗然とならざるを得ない。

2024/02/07 ここまで

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