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子どもはやっぱり、母親が好き

私は3歳と0歳の娘がいる。父親としては私も3歳、まだペーペーである。
妻には鼻で笑われるかもしれないが、自分なりに懸命に育児に携わっているつもりだ。しかし、どんなに愛情を注いでも母親(妻)には敵わないと感じることが多々ある。それは、娘への愛情が敵わないと言っているのではない。

叱ることができない私

娘を溺愛している私は、叱ることができない(笑)
それに比べて妻は娘を叱ることも多い。
叱ることに関して否定するつもりはない。そして叱る妻を否定するつもりも毛頭ない。叱ることが必要な時だってあるはずだ。
育休中の妻は娘の相手をする時間が長く、どんなに娘を愛していてもイライラすることもあるだろう。妻だって人間だ、それは仕方ない。
私が叱ることなく娘に接することができているのも、日ごろから長時間育児を担ってくれている妻がいるからだ。本当に感謝している。
このように書くと妻はいつもイライラしてガミガミ言っているように思われるかもしれないが、私の妻は非常に温厚で基本的にはいつもニコニコ育児しているような人間だ。勘違いされると困るので補足しておく。

だからこそ全力で遊ぶ

私は仕事がある日はあまり娘と接する時間を確保できていない。起床から幼稚園(認定こども園)へ送るまでの1~2時間と、夕方仕事を抜け出して夕食や入浴を共にする1時間前後が平均的な子供と接する時間だ。
だからこそ、娘と一緒に遊ぶことができる時間は全力で遊ぶ。娘も全力で遊ぶ。
家に帰ると一番に駆け寄ってきてくれるし、抱っこを求めてくれる。
娘にとって一番の遊び相手でありたい、そう思っている。

叱らずに全力で遊んでくれる父親。
娘はそんな私を大好き…だと信じたい。

最後はやっぱり

妻から叱られた娘は、シェルターのように私のところへ逃げ込んでくる。妻よりも私のところへ来てくれることにちょっぴり喜びを感じているのも事実である。
しかし、どんなに叱れても、最後はやっぱりは妻のところに戻る。

一度寝入った娘が怖い夢でも見たのか、たまに夜中起きることがある。その時に求めるのは100%母親だ。その状況で私が求められることはまずない。
本能が母親を求めているのだ。

人間を動物として捉えた場合、母乳のでない父親には赤ちゃんを育てることはできない。やはり子ども、とくに乳幼児にとって一番必要なのは母親なのだと個人的には思う。父親が子どもと接することができるようになる10ヶ月も前から母親のお腹の中で一心同体で過ごしてきているのだ。それを考えると当然かもしれない。
様々なことに関して男女平等がうたわれている現代においても、母親は母親で、父親は父親なのだ。

そんなことを思いながら、私は妻とともに日々子育てに奮闘してる。私は、どんなに頑張っても母親にはなれない。
私は自分にできることを全力でやるだけだ。

子どもはやっぱり、母親が好き。

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