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薄明

薄明とは日の出のすぐ前、日の入りのすぐ後、大気中の塵による光の散乱により空が薄明るく(薄暗く)なる時の事を言うそうだ。

本棚の奥の奥

本棚を整理していると、本棚の奥の奥。押し込まれた一冊の本を見つけた。
ぼくは手を伸ばし、他の本が落ちて来ないようにそれを慎重に抜き出す。
正方形の形をしていて瑠璃色に表紙には、星がいくつも浮かんでいる。
ページ一枚一枚に膨らみがあって、本にしては膨張していた。
ぼくは、この本を久しぶりに取った。かつて何度も何度も見直しては、頬を緩ませたことを思い出す。とても懐かしい再会と言えるだろう。
これは以前ぼくが誰よりも大好きで、何よりも大切にしていた人からプレゼントされたフォトアルバム。

走馬燈が手招く

フォトアルバムを開いてみると、そこには懐かしい二人が当たり前のように居た。
歌川さつき。彼女の名前だ。
出会ったのはぼくが20歳の時、アルバイト先の靴屋さんに彼女がバイトの面接に訪れた。
「おとなしくて良い子やったわ。たぶん、あんたの好きなタイプの子やと思うで」
なんだか面白がっている店長に彼女の履歴書を見せてもらうと、店長の言いたいことがつぶさに理解できた。
(確かに店長の言う通り。まだあどけないけど、大人しそうな良い子だ)
そう思った瞬間、何故か頭の中に「この子と付き合うことになる」と感じた。
イメージが浮かんだとかそういうことではない。
ただ漠然と何かわかったのだ。もちろん周りの人にはこぞって、「一目惚れだろ?」と言われたが、事実ぼくとさつきは彼女が入店したその夏、恋人同士になった。
アルバムを進めていくと、丁度二人がバイト中の写真が現れた。
大学1年生から卒業までさつきはその店でバイトし続け、ぼくと付き合い続けた。
ふたりが一番一緒に時間を過ごした場所はどこ?と聞かれたら、間違いなくその店だろう。

「今度の舞台、見に行くからね」

靴屋でバイトをする傍らぼくは、名古屋で活動するとある劇団に所属していた。
半年に1回定期公演を続けるお笑いをメインに取り扱う劇団。
元々深夜ラジオが大好きでラジオパーソナリティになる為に、インテリアコーディネーターを育成する専門学校を入学から1週間で辞めた。勢いそのままラジオ局が主催するスクールに何年か通ったものの、センスが見出されることがないままいつの間にか劇団に流れ着いていた。
しかし、お芝居との出会いは自分を思わぬ良い化学反応を引き起こした。
単純明快に言えば、のめり込んで夢中になったのだ。
劇団で舞台に立たせている間、彼女が見に来たのは1回だけ。
それも二人で食事中に何の気の無しに「今度また公演やるから見に来てよ」とフライヤーを渡しただけ、毎日大学とサークル、バイトで忙しい彼女は来れるはずもないだろうと思っていた。けど、来た!しかも、友達を引き連れて。
その日のソワレ(夜)の公演は普段の5倍…10倍…20倍…。とにかく幕開けからカーテンコールまでずっと頭は真っ白だった。当然何の記憶もない。
けれど、彼女が実際に舞台上での頑張りを見に来てれた事実は劇団員内で交わされるどんな労いの言葉よりも嬉しかった。
劇団員は舞台が終わると、毎回反省会と称して飲み屋に繰り出す。ぼくだってなるべく参加する様に心掛けていたが、その日は違った。
飲み屋に向かう一向とは反対に、彼女を追いかける為走り出した。
(彼女に会いたい。会って何を伝えるわけでもないけれど、会わなきゃ)
駅で彼女を見つけた。友達と別れて、そこで待っていた。
ぼくがいつそこを通るかも、もしかしたら来ないかもしれないのに。
携帯を見つめていた彼女が気配に気づき、顔を上げた。
夏だけど、少し肌寒い夜。
「お疲れ様」
「今日はありがとう」
「ううん。面白かったよ」
「もう帰っちゃうの?」
「帰ってほしい?」
彼女が企んだ顔で微笑む。
その彼女の手を握ると、少しだけ冷たくなっていた。
「風邪引かないように」
彼女を引き寄せ、ぼくらはお互いを確認しながら駅に消えた。

南千住のバックパッカーズホテル

劇団の定期公演の後、ぼくはキャバクラのバイトを掛け持ちしていた。
理由はデート代ではなく、東京への遠征資金を稼ぐ為だった。
たまたま本屋で見つけたオーディション雑誌に掲載されていたホラー映画の出演者オーディションを見つけたぼくは何の迷いもなく、秒で応募した。
その数週間後、東京に呼び出されたぼくはプロデューサー主催の1週間のワークショップオーディションに参加していた。
結果は散々だった。嫌という程実力差を見せつけられたぼくはワークショップ最後の数日を仮病で休んだ。ぼくはその時宿泊していた一泊3000円のバックパッカーズホテルの2畳半の狭い部屋で、ただ天井を見つめて過ごした。
「早く帰りたい」「やっぱ東京には化け物っているんだな」
「さつき、今何してるかな?」「なんか情けなくなってきた…」
東京発名古屋行き夜行バス。審査結果を待たずして、いの一番でバスに乗り込んだぼくは逃げる様に地元に帰った。

しかし、その数日後知らない番号からの着信で携帯が揺れた。
電話の相手は、年老いた男性だった。
「もしもし?」
「今晩はプロデューサー金原です。今大丈夫?」
「あ、はい!」
それはぼくが受けたホラー映画のオーディションの審査員であり、エグゼクティブプロデューサーの金原さんからだった。
「元気?」
「はい、元気です」
「あのさ君、真剣にお芝居やる気ある?」
「はあ…」
「君さ芝居からっきし下手だけど、キャラが面白いから東京来なさい。面倒見てあげるから。今度の映画にも出してあげるから…」
絶興奮のぼくは、それ以降何もを聞き取れてはいなかった。
「東京が呼んでいる!!」「映画に出れる!!」
雄叫びを上げながら狂ってしまいそうなテンションだったぼくは、金原さんの言う通り15万払って映画に出ることが出来た。…15万も払って。
当時役者仲間なんておらず、事務所に所属していないぼくは実に無知だった。
まさかそんなビジネスがあるなんて知らず、ぼくは金原に金を献上し続けた。
「でもまぁ、考えようによっちゃ本当に映画出れたし。きな臭いけど、金原さんは確かに力があるかもしれない」
怪しいくせに、チャンスを逃したくないぼくは金原さんを頼った。
その結果、ワークショップ代や映画出演代、チケット代、お食事代。
あれやこれやとたかられてしまい、気づいた時には数百万の借金を背負ってしまった。
それでも、さつきはぼくの出た映画を観たいと言ってくれた。
満を辞して、映画館で肩を並べて鑑賞したぼくらはあまりの微妙なクオリティに絶句した。
以来、今もなお金原さんをキングボンビーの如く警戒し、二度と会いたくない人リストにも堂々ランクインした。

12月24日

彼女が大学生活が残り僅かになった頃、連絡が飛び込んできた。
「企業内定貰えたよ!」
「おめでとう!頑張ってたもんね」
「うん。きみも頑張ってね。応援してるからね」
何気ない彼女の言葉は、やけに引っかかった。
確かに彼女が内定貰えたことに不満はない。むしろ、一緒になって大喜びしたくらいだ。
でも、言いたかった。
「俺、頑張ってるよ?」
映画出演以降、ご縁で活動範囲も広がっていった。
東京の舞台に出させていただいたり、関東ローカルのドラマに出させて頂いたり、
僅かながら求められ始めていることを自覚し、有名な映画監督のワークショップにも自発的に通うようになった。ほぼ毎月夜行バスで東京に通うのが日常的になり、それだけ自動的に彼女との時間は当たり前のように減っていった。
でも、自信よりも不安が圧倒的に優っていた。
(さつきは目に見える結果が出てる。それに対して俺はどうだ?まだ通ってだけのレベル。代表作ひとつない)
不安は次第に焦りに変わった。きっと彼女も気づいていたのだろう。
だけど、ふたりとも上手い解決方法が見出せず衝突することが増えた。
険悪になっては謝る。謝っては喧嘩する。ぼくたちは、お互いの手を探し始めていた。

そんな中で迎えたクリスマス。久々にデートしよ?誘ったのはぼくだった。
元々騒がしいところが得意じゃない二人は自然と静かな場所へと車を走らせた。
【博物館 明治村】
蒸気機関車が園内を走り、帝国ホテルの中央玄関や札幌電話交換局、金沢監獄、聖ヨハネ教会堂といった日本の各地の歴史的建造物が一挙に集められたテーマパーク。
久しぶりのデートとあって、ぼくらは終始時間を忘れて目一杯楽しんだ。ジアkんを追う毎にiPhoneのカメラフォルダは二人の写真で埋め尽くされていく。
「ねぇ、次はあそこ行こうよ」
どっちが誘ったかは覚えていない。ぼくらは郵便局舎に辿り着いた。
もしかしたら、それがデートのメインになっていたかもしれない。
【はあとふるレター】
10年後の“自分”や“大切な人”へメッセージを送れるメッセージサービス。
ぼくらは未来のお互いに想いを馳せ、手紙に言葉を書き綴った。
それがぼくが記憶している最後のデートだった。

年が明け、東京から帰ってきたぼくは彼女に呼び出された。
胸騒ぎがした。嫌な予感もしていただろう。
彼女に呼び出された公園に行くと、神妙な顔の彼女が待ち受けていた。
公園内を歩きながら、他愛もない会話。いつも通りだった。
(そういえば、最近彼女の手を握れてないな)
ふと手を握ろうとすると、彼女の手が逃げていく。そんなことは今まで初めてだった。
すると、立ち止まる彼女が重々しく口を開いた。
彼女が何を言ったかは言うまでもない。大方の想像通りの言葉だ。
やっぱり嫌な予感は当たっていた。と、同時に心のどこかがフワッと抜けてしまいそうな感覚に陥る。
「考え直せないかな?」
食い下がるぼく。それに対して、優しく首を横に振る彼女。
初めて見た彼女の優しくない優しい部分だ。
諦めきれないぼくは彼女を強引に抱き寄せ、キスをする。
「もう…ダメだよ」
初めて向けられた彼女の掌はとても大きくて、視界から綺麗に彼女を隠してしまう。もうダメだと思った。
「ごめん」
謝る時、彼女の顔から目を背けている自分が情けなかった。
なんで、世界で一番愛した人の最後をちゃんと見てあげられなかったのだろう。
彼女と別れ、帰る車中。止まらない涙が心につっかえていた後悔を何倍にも膨張させた。

4年間。長くて一瞬でだったぼくらは、恋人以下知人の関係になった。

東部東上線

ここからは、もう君は出てこない。君も知らない話なんだ。

さつきと別れた後、ぼくは前より増して精力的に役者活動に邁進した。
オーディションには手当たり次第に応募し、東京に行けば臆せず人に会いに行く。
その甲斐もあってか、ぼくはとあるお芝居イベントに参加させてもらえることになった。
そこで今も続く恩師と同志に出会うことになる。
イベントはあらかじめチームを組み、舞台に出る。舞台上で出されたお題に合わせて、即興演技で誰が一番お客さんのハートを掴めたか競うもの。
その時に演出指導をつけてくれた見た目が類人猿のくせにボキャブラリーが豊富なフクモトさんと一緒にチームを組んだ若手実力派のキムタク。病的に毎回苺のパーカーしか着てこない綾凛。兄の様に慕ってくるくせに何かとめんどくさがるルーシー。他にも個性のオンパレードの中で芝居ができることを楽しんでいたら、続いてそのメンバーを率いて舞台を一本作ることになった。
(余談だが、それと同時に25歳にして上京したぼくは初めて一人暮らしをすることになるのだが、家賃の安い東武東上線のラインで借りたアパートは風呂の扉の取っ手が取れたり、キッチンの換気扇が急に落ちてきたり、何かと大変だった)
オムニバス形式で4本の中にそれぞれに詰まったストーリーは、連日大勢のお客さんを喜ばせた。この舞台で初めて主役的な立ち位置を頂いた時には、一時はプレッシャーでどうにかなるかと思ったが、本番が近づくにつれて周りの大勢に幾度となく助けられた。
この舞台を終えた後、勢いに乗った人間はどこまでも勝手突き進んでいくものなんだと知ることになる。

舞台を無事終えた2週間後、ぼくは中野で人と待ち合わせをしていた。
それは以前、ホラー映画に出た時の関係者がSNSで「久しぶりにお会いしませんか?」とDMしてきたのである。
その人こそ、プロデューサー兼芸能事務所社長、船橋さん。
ぼくがそれ以降所属することになる事務所の社長だった。
この人との再会はぼくの役者人生は急加速させた。
船橋さんは「あなたは他の役者とは全然毛色が違います。その毛色の違いで売り込みましょう」と、様々な局や制作会社に売り込みを掛けてくれた。
その結果、上京早々にテレビドラマのレギュラーに抜擢された。
母親はよくぼくに謝った。
「チビで天パのちんちくりんに育ててごめんね」と、レギュラーが決まった時にぼくは母親に答えた。
「おかんのおかげで役取れたよ。ありがとう」と。
この頃になってくると、ぼくも次第にプロとしての自覚が芽生え自信もつき始めていた。
ぼくは船橋さんの手助けも借りながら、自信のキャラを存分に奮っていった。
もしかしたら、あの頃は自分のピークだったのかもしれない。
ドラマと並行して、小劇場だった舞台小屋はさらにどデカい箱に代わり、テレビで全国放送もされるCMでメインもやらせて貰えた。
素直に全ての現場が楽しくて仕方なかった。正直、「このまま売れる」とも本気で思っていた。

「都会は嫌だ」

池袋行きの電車内。目の前の女性はブランド物の小洒落たベージュのロングコート羽織っている。コートの袖口から伸びる細い腕の先、綺麗なネイルは僅かな車内灯すら味方につけるかのように存在感を放つ。
その小さな輝きに目にしたぼくは吊り革を掴む自分の手を内巻きに絡ませて、指を覗き込む。
「自分の指はどうだろう?」
そんな問いはいとも簡単に否定される。
違う。何も綺麗じゃない。
「下品」
合っているかどうか定かではないが、その言葉が一番妥当に思えた。
誰も見ていないのに、一人羞恥心を悟られないように開いたドアからホームへと出る。
朝、地上から地下へと満員電車から満員電車を乗り継ぐ。その中に違いを見出すとしたら、右から左へと流れ去る家々の暮らしを眺められるか真っ黒に籠ったトンネルの壁を見つめるかぐらいだ。毎朝飽きるほど見慣れた光景を繰り返していると、いつの間にか心に鬱を感じる。
でも、それは今日に始まった事じゃない。もう充分染まりつつあったのだ。

事務所に所属してしばらく、ギャラが支払われない事態が発生した。
「何かありました?」
心配になり、尋ねてみても「大丈夫。でね…」と何処か濁されている感じだった。
ただそれは氷山の一角に過ぎなかったのだ。
次々に発覚するギャラの未払い問題やタレントとのいざこざにぼく自身巻き込まれ始めた時、船橋さんへの不信感が頂点に達しようとしていた。
「周りの声に惑わされず、私の言うことを信じてください」
信じたいとは思った。
だが、周りからぼくの耳に入ってくる生々しい声は聞いているだけでも耐え難く、脳内で危険信号を強く発していた。
徐々に船橋さんと口論が絶えなくなってくる。逆に喧嘩していない方が珍しい時期もあった。
「ぼくが言うことを聞かない」
「船橋さんを信用できない」
お互い一歩も譲らぬまま、時間だけが無常にも過ぎていく。
次第に船橋さんは人格を攻撃し始めた。その攻撃は効果てきめんだった。
ぼくの日常から笑うという習慣が消え始め、人に会うことを拒み出し、役者でありたいと思わなくなっていた。

夢を持って上京したはずなのに、夢を叶えたかっただけなのに、
ぼくの心は完全に壊れていた。

もう我慢はしなかった。
人身事故の影響で人がごった返した日。ぼくは駅のホームで、事務所との専属契約を解除をした。

Re:書きたいものがある

役者を辞めたぼくは知り合いの紹介で、不動産清掃のバイトを始めた。
朝は早いが極力一人で仕事できる環境は無理する必要がなく、気が楽だった。
実を言うと、役者を辞める寸前。一度だけ自殺してしまいそうになっていたことがあった。お風呂上がりに気がつけば、無意識で胸に包丁を突きつけようとしていたあの頃と比べると、今は平和そのものだった。

ただ一つターニングポイントみたいなキッカケがふいに訪れてきた。
ドラマで仕事をご一緒した時の作家さんがお笑い芸人のラジオで使うオーディオドラマを手伝って欲しいと依頼してきた。
「書いたこともないし、できるかどうか」と渋ったが、作家さんはただ「待ってます」と言葉をくれた。
ルールすら知らない中、書き上げた作品を何回も見直し依頼が来てから1ヶ月が経った頃、ようやく作家さんに見せに行った。
結果は採用だった。まさかとは思っていたが、本当に録音して放送された音源に些細な興奮と感動を覚えた。
「これもう読んだから、次はこれを参考にしてみるといい」
作家さんがぼくにシナリオの書き方の本をくれた。
「ダメだよ。ぼく、どうせ学がないし」
作家さんはぼくのゴモゴモと口から吐き出される言葉に一切耳を傾けなかった。
「いつか一緒に面白いと思える作品作りましょうよ!」
その言葉はそれから一年、ぼくの原動力となった。

その後、じっくり時間を掛けて小説とシナリオを何本か書き上げた。
もちろんズブの素人の作品がコンクールに引っかかるわけもない。
書き方もキャラクターも展開構成も全てで問題を指摘された。

でも、それでもぼくの作品を読んで「面白いね」と言ってくれる人がいた。
本人達はきっと忘れてしまっただろうけど、どんなに挫けてもあの時貰った言葉は今もぼくを助けてくれているんだよ。

今ぼくの背中には200人の福澤諭吉がおぶさっている。
まるで何処かで見た物置きのCMみたいに積み重なった借金には、一つ一つにちゃんと意味があったのだ。
マイナスだけど、その分プラス。得た物は、両手じゃ抱えきれない。
全部が大切な経験で、全員が大切な人。

30を越えたぼくには、夢がある。
今のところ、書いても書いても評価される兆しはない。
親も高齢になってきた事、周りの成功を見るとこれからも焦るばかりだろう。
バカなぼくだってわかってる。舗装された歩きやすい道があることを、その道に乗り換えれば次第に歩きやすい人生を送れることを。
だけど、これで良いんだ。
十人十色の毎日がある。比べてみても仕方がない。
ハッキリ言い切れる。
「人生、何度も再スタート切れるなんて幸せじゃないか」
これからも落胆と不安と葛藤はタッグを組んで、ぼくを押し潰しにくるだろう。
「なんでこんなにも自分は…」と悲観するするだろう。塞ぎ込んだまま俯く日もあるさ。
何度も自分を傷つけるはずだ。でもね、いつか薄明の時間が訪れる。
今のぼくにも、過去のぼくにも、そして君にも。
それまでは何度でも社会の塵になるのも悪くない。
ぼくは、ぼくの描く世界で来訪者を待っている。

「はぁとふるレター」


数日前、彼女に久しぶりにLINEを投げてみた。
「誕生日おめでとう」
「ありがとうございます。覚えてくれてたんですね!元気ですか?」
「元気だよ。君も大人な年齢になったんじゃないかな」
「うん。なれました(笑)」
「よかったね。あとはじきに結婚だね、良い人できた?」
「うん、できましたよ」
嬉しいのと心が詰まる感じがいっぺんに来た。
彼女はもう随分未来を歩いているようだ。
だけど、もうすぐ君に追いつく。その時ぼくらはどこにいて、どんな顔をしているのだろうか。
それはじきにわかる。楽しみにしておこう。

かつて大好きだった人と綴った手紙。
受付日は2012年12月24日。もう10年も前だ。

もうすぐぼくも、その日に届く。
彼女の待つ未来に。

(了)

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